ふるさと厚狭

厚狭毛利家文書の地元移管

私の生まれ故郷・山口県厚狭周辺を給領地にしていた厚狭毛利家のことはこのブログで色々と触れて来た。 先日山口で行われた山口県地方史学会の70周年記念大会で「厚狭毛利家文書」と呼ばれる貴重な史料が、厚狭図書館に保管保存されるまでの経緯を書いたも…

山口県地方史研究・大内義隆の官位に関する一考察②

12月10日の続き 前回、中国地方や北九州に君臨した戦国大名大内氏の最後の当主・義隆が足利将軍家を超えるような官位を得ていたことを書いたが、ではなぜそのようなことが可能になったのか、研究者の西田氏は史料から得られたこととして、義隆から朝廷へ…

山口県地方史研究・大内義隆の官位に関する一考察①

専門外ながら入会させて貰っている山口県地方史学会から会誌「山口県地方史研究第130号」が送られてきたが、今号には私の疑問にも応えてくれる興味ある研究が二つ載せられていた。そのひとつが山口市の西田智洋氏の「大内義隆の官位に関する一考察」であ…

「逆さひょうたん」

激動の幕末は色々なエピソードに彩られているが、これもそのひとつかもしれない。 土佐と長州の要人が江戸で会同、酒を酌み交わした席で土佐前藩主で藩の実権を握る山内容堂(やまのうちようどう)は長州の周布政之助(すふまさのすけ)や久坂玄瑞(くさかげんず…

山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など④菜香亭の書

大会を終えて、同級生に山口市にある「菜香亭(さいこうてい)」に連れて行って貰った。明治時代に山口の迎賓館と呼ばれた料亭で元々別の場所にあったが、廃業を惜しんだ市民の請願で、現在地に観光や市民交流の場として移築公開されたものであるらしい。 広間…

山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など③発表内容

記念大会のテーマ『萩藩「一門」研究の新展開』の発表内容については専門的内容が多く濃いため、ここでは発表された六つのテーマについて簡単な紹介に留めさせてもらうことにした。 (尚一門家についての基礎的なあれこれは11月28日のこのブログを参照下…

山口県地方史学会創立70周年記念大会聴講と史跡訪問など①一門あれこれ

専門外ながら入会させて貰っている山口県地方史学会の70周年記念発表会が11月26日に山口市の県立図書館で開かれ、そのテーマが私が追跡している厚狭毛利家を含む、『萩藩「一門」研究の新展開』ということもあり、是非にと思い聴講に出掛けてきた。 ま…

「古代史の基礎知識」と「古墳」/ 厚狭の前方後円墳

吉村武彦編「新版 古代史の基礎知識」角川選書と土生田純之(はぶたよしゆき)著「古墳」吉川弘文館 刊を読み終えた。といっても「古代史の基礎知識」の方は古墳の部分に限定して読んだのだが。 元々歴史好きながら古代史は余り興味がなく、中世以降をもっぱら…

戦国時代山口県の豪族・江良(えら)氏

先日の同窓会に郷土史の資料をハンドキャリーして貰った同級生の地元は現在の周南市鹿野(かの)で、その資料のなかに鹿野地域を地盤とした戦国期の豪族・江良氏の名前がある。 江良氏については2021年4月9日のこのブログに、『評伝「毛利元就」と周南・…

関西地区同窓会と踏海(とうかい)とは?

昨日は大阪北新地で約1年ぶりの厚狭中学校の同窓会、山口県からわざわざ来て貰った2名を入れて、合わせて10名の参加であった。 本来6月に開催の予定であったが台風直撃予報で延期になり今回に持ち越されたもの。 いつもこの会で思うのは、半世紀以上の…

ブラタモリ・山口県特集(最終回)③錦帯橋と岩国

今回はメインが山口県岩国の錦帯橋、木製のアーチ橋でその美しさや耐久性で余りにも有名な江戸時代からの橋である。 番組では錦帯橋の構造から洪水などに対する耐久性の強さが解き明かされ、機能美として際立っていることが説明される。 その後この橋が、岩…

ブラタモリ・山口県特集②萩の街

これは2018年に放送されたものの再放送らしく、タモリさんに同伴するのは今はニュースが本業になっている 林田理沙アナウンサー。 萩の地形や地質などから解き起こし、なぜ現在まで古い武家屋敷群が残り世界遺産・「明治日本の産業革命遺産」の一部にな…

ブログ投稿1500回目・「ブラタモリ」山口県特集①秋吉台と厚東(ことう)

NHKの番組「ブラタモリ」で、どういう訳か最近再放送も含めて3件たて続けに山口県の関連が連続して放送され、山口県在住の同級生LINEにも連絡があり録画しておいた。 ここに来てようやく3件とも連続再生して観終わったが、何れも何らかのかたちで歴史に関…

歴史探偵・高杉晋作 歴史を変えた力とは!?

山口県は民謡不毛の地といっても言いかもしれないが、そのなかで唯一多少知られた存在が「男なら」、幕末長州藩が沿岸防備のために御台場(砲台)建設に庶民を動員した際に労働歌として唄われたと伝わる。 歌詞の1番、2番は女性の立場で、お国の大事に際して…

山陽町史⑧松嶽山正法寺と元寇(げんこう)

8月8日のこのブログ山陽町史⑥に書いたように、厚狭の象徴のひとつ松嶽山・正法寺(中世の頃は松嶽寺とも呼ばれた)は源平壇ノ浦合戦の際、軍兵に襲われ全山焼失して寺伝、寺領等が皆無となった。 戦火より38年後、貞応2年(1223)正法寺の僧・大賢は再…

厚狭毛利家の開作②梶浦開作(古開作と沖開作)

昨日10月15日の続き 厚狭川河口西側部分の開作・干拓事業はすでに寛延2年(1749)厚狭毛利家五代・元連、安永年間(1770年代)七代・就宣の時代に藩府に許可を願い許されていた。 しかし実際に着手に至ったのは天保6年(1835)九代・元美の時代…

厚狭毛利家の開作(かいさく)①開作あれこれ

先日私の故郷・山口県厚狭在住の中学同級生から、稲を昔ながらの天日干し(はさかけ)する田んぼの写真がグループLINEに送られてきた。 場所を確認すると江戸時代に干拓で出来た土地(古開作)であり、そういう土地で稲作が連綿と続けられていることに感慨を覚え…

司馬遼太郎さんの随筆⑥国民国家

江戸時代は身分社会でいわゆる士農工商の差が歴然としていたとされる。一般的に庶民といわれる農工商に属する人々は、年貢を始めとする税を搾り取られ窮屈な世渡りを強いられていると否定的に捉える見方が一般的である。 一方この事を肯定的に見て、それ以前…

「山陽町史」⑦箱田氏と惣社(そうしゃ)八幡宮

現在厚狭の郡(こおり)地区にある惣社八幡宮は加藤地区にある鴨神社とならんで地域のなかで最も古く由緒のある神社である。 2020年に撮った参道から神社を見上げた写真、時間がなく社殿に行けず。 社伝によれば、箱田小太郎広貞が末益村に社を建て文治3…

「村・百姓たちの近世」

長く中断していましたがぼちぼちと復帰しようと思います。今までと違い2~3日に一回のペースで無理せず気長に行きたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いします。 水本邦彦著「村・百姓たちの近世」岩波新書 刊を読み終えた。 著者は日本近世史の専門家で村社…

中断中の独り言・「俳句世がたり」と「新茶汲む」

住んでいる施設に入居して一年半近く、俳句サークルに入って一年余りとなり初めて出逢う俳句に苦吟している。 サークルの先輩居住者の方から俳句の魅力再発見とキャッチコピーの付いた、小沢信男著「俳句世がたり」岩波新書刊と、配偶者の方が詠まれた手作り…

中断中の独り言・「らんまん」の神社合祀

NHKの朝ドラ「らんまん」はいよいよラストスパートにかかって来ているなか、主人公の万太郎が、和歌山県在住の著名な民俗学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)の影響や、神社の森の植物へのダメージなどを考え、明治政府の神社合祀政策に反対しようとするストー…

中断中の独り言・ふるさと厚狭の前方後円墳②

9月9日の続き ①長光寺山古墳 江戸時代初期、厚狭毛利家入部後の菩提寺・洞玄寺(とうげんじ)は厚狭川の右岸、郡地区下津(しもづ)にあるが、元々その地には古くから長光寺(ちょうこうじ)という名の寺があり荒廃していた跡地に寺号を改め建立されたものである…

中断中の独り言・ふるさと厚狭の前方後円墳①

古墳時代は3世紀中頃に始まり7世紀中頃まで続いたと云われる。その最盛期は4世紀後半から5世紀後半であり、この時期に築造された古代日本の大王たちの墓群は「百舌鳥古市(もずふるいち)古墳群」として世界遺産に登録されている。 私が大阪に住んでいた頃…

「明治国家をつくった人びと」

瀧井一博著「明治国家をつくった人びと」講談社現代新書 刊を読み終えた。 幕末から明治にかけて西洋の文物を導入して、それを制度化することによって自立し、国際社会の一員になることは当時の国家的願望であり、藩閥政府、在野の民権指導者達の共有すると…

中山忠光の暗殺事件

日経新聞に連載中の辻原登さんが陸奥宗光の青春を描く「陥穽(かんせい)」では主人公・陸奥小二郎は勝海舟の神戸海軍操練所の開設入塾に向けて勉学に励もうとしている。 この時代背景を表すなかで公家・中山忠光の暗殺が描かれている。この暗殺事件は我が長州…

「出雲尼子(あまご)一族」/夕虹

ふるさと厚狭(現在山口県山陽小野田市)に縁があった出雲国(いずものくに・島根県)出自の戦国武将・三澤氏の足跡をたどるとどうしても出雲を本拠地とした戦国大名・尼子氏と向き合わざるを得ない。 これは一度尼子氏に関する本を読んでみなければと思い図書館…

「山陽町史」⑥源平合戦と松嶽山正法寺(まつたけさんしょうほうじ)

古代史の最終局面、中世史の幕開けを告げるのが源平合戦である。兵庫一ノ谷、四国屋島で敗れた平氏は安徳天皇を奉じて全軍、長門国彦島(現在の下関市)に集結した。 源氏で先んじた源範頼は九州に入り平氏の背後を断ち、屋島で勝利した源義経も長門に下り寿永…

「戦国武将三澤氏物語」⑤厚狭へ

7月31日の続き 天正17年(1589)豊臣秀吉に従属した毛利輝元は中国八ヶ国の太守として広島城を築城して吉田郡山(よしだこうりやま)城から移ることになる。 三澤氏第十代為虎はこの際、築城指南役を命ぜられ、家臣100人卒600人を引き連れ奔走し…

「戦国武将三澤氏物語」④尼子・大内・毛利の狭間で

7月20日の続き 1470年頃には出雲国(いずものくに・島根県)の国人(こくじん・在地領主)のなかで中心となるような成長を遂げた三澤氏であるが、応仁元年(1467)の応仁の乱に始まる戦乱の時代は、数ヵ国を一元的に支配する戦国大名の争いの狭間で揺れ…