ふるさと厚狭

厚狭図書館から嬉しい知らせ

このブログから、主にふるさと厚狭のことや歴史のあれこれの部分を抜粋して自費出版した「厚狭吉亭日乗」を、帰省の折りに公的な場所に置いて貰うべく持参するつもりだったが、生憎のコロナ騒動で帰省を断念、代わりに伝手も借りて送らせてもらった。今回山…

ふるさと厚狭の寝太郎物語③最終回、寝太郎とは何者?

6月9日のこの日記の続き厚狭川に堰を設け水路を掘削して荒れ地を美田に変え、寝太郎として伝説になった者は一体どのような人物なのだろうか。 残念ながら今までにこの答えを明確に示す史料や研究は見当たらない。荒神社に寝太郎の名が冠せられていることを…

ふるさと厚狭の寝太郎物語②

5月7日のこの日記の続き厚狭川の寝太郎堰(大井手)から分流した水は用水路を通じて、厚狭川西側の、上流鴨庄地区から各地域を経由、下流の広瀬地区まで広く行き渡るようになっている。現在寝太郎用水路と呼ばれる水路は、鴨庄に生まれた私が子供の頃は幅2m…

ふるさと厚狭の寝太郎物語①

私のふるさと山口県厚狭郡山陽町(現山陽小野田市)厚狭には3年寝太郎伝説が残されている。 厚狭の出身者には心のよりどころのひとつになっており、大阪在住の同級生から、一度寝太郎のことをこのブログに書いて欲しいと頼まれ書き始めている。・丁度50年前…

厚狭毛利家⑳初代元康の足跡③

毛利元就八男で厚狭毛利家の祖・毛利元康について色々なことをこの日記に書いてきた。元康は豊臣秀吉が始めた朝鮮出兵(歴史学では朝鮮侵略戦争と呼ぶことがある)・文禄、慶長の役では一手の将として渡海した。 2021、1、31のこの日記「厚狭毛利家⑱初…

コロナで帰省を断念

この5月、色々な用事も含めてふるさとの厚狭へ帰省を計画していた。 ・墓参り ・叔母さんや従姉妹と会う ・高校の同級生と会う ・私の本「厚狭吉亭日乗」を各所に届ける etc年明けくらいから楽しみに計画して、コロナの状況を見ていたが、住んでいる大阪で…

滋賀県・瀬田でのゴルフと瀬田の毛利

昨日は近所のゴルフ好きメンバー4人で滋賀県大津市瀬田のゴルフ場へ、コロナ対応ゴルフに出掛けてきた。 晴れ時々曇りの絶好のコンディションで久しぶりに目標の90切りができて、44、45、トータル89。最終18番ホールの2mくらいのパーパットを沈…

謎の古代豪族・葛城(かつらぎ)氏

私は大阪の旧河内国地域に住んでいるが散歩の途中などいつも東南方向にある北から二上山(にじょうざん)、葛城山、(かつらぎさん)金剛山(こんごうさん)の山々を見て、雲のかかり具合などから季節の移ろいを感じている。またこれらの山の標高は最も高い金剛山…

おだいっさま・お大師さま

私の子供の頃の想い出には色々なものがあるが、ふるさとの習俗とも絡んで遥かな歴史をも感じさせられるのが、この時季の懐かしい「おだいっさま」参りである。「おだいっさま」とはお大師様がなまったもので云うまでもなく空海、弘法大師をいい、誕生地・四…

出光興産創業者・出光佐三①

大阪に職を得て実家のある山口県との行き帰りに、いつも見る風景のひとつがJRの線路傍、海沿いに拡がる山口県周南石油化学コンビナートで、その中でも出光興産・徳山製油所(現在徳山事業所)は、山口県のランドマーク的存在で高度成長期を経て長く光輝く存在…

ふるさと厚狭の映画館③厚狭三晃

「厚狭三晃」は厚狭駅から実家があった鴨庄(かものしょう・古くからの人は「かもんしょう」と呼んでいた)へと続く道と、旧国道2号線の交差点にあり、厚狭駅から100m程度の好立地で、厚狭で最後まで頑張られた映画館である。 「ふるさと談義」によると館…

山頭火とふるさと厚狭

種田山頭火(1882~1940)は防府市(旧佐波郡)の出身で、云わば同郷・山口県の大先輩に当たるが、酒に溺れ、雲水姿で放浪、自由律(5・7・5にとらわれない)の漂泊俳人として近年不思議によく名前を聞くようになってきた。近親者の自殺や破産などのせ…

ふるさと厚狭の映画館②厚狭松竹

子供の頃の映画館で深い記憶の底にあるのはやはり厚狭の松竹座だろう。厚狭川鴨橋(かもばし)方向から千町(ちまち)のJR(当時は国鉄)美祢線(みねせん)踏み切りを越えて直ぐを右折すると美祢線沿いにパチンコ屋や飲食店がある小さな歓楽街といった子供の入り難…

ふるさと厚狭の映画館①加茂川座

私の子供時代は娯楽の主役が映画からテレビへと変わり行く曲がり角に当たっていた。 昭和34年(1959)4月10日、上皇陛下が皇太子として美智子様との御成婚の日で、この頃から爆発的な白黒テレビブームが始まり、映画の斜陽化が叫ばれるようになる。厚…

評伝「毛利元就」と周南・鹿野の江良(えら)氏

4月8日のこの日記に書いたように岸田裕之著「毛利元就」ミネルヴァ日本評伝選、を読み進めている。 周防国(すおう・山口県)陶隆房(すえたかふさ・後の晴賢)は天文20年(1551)9月1日、主君大内義隆を長門国(山口県)・大寧寺(たいねいじ)に討ち果たし…

ふるさと厚狭の惣社(そうしゃ)八幡宮

ミネルヴァ書房が発行しているミネルヴァ日本評伝選シリーズは吉川弘文館の発行する人物叢書(そうしょ)シリーズと並び、史料に裏付けられた伝記集として双璧と思われる。その日本評伝選シリーズの一冊、「毛利元就/武威天下無双、下民憐憫の文徳は未だ」岸田…

ふるさと厚狭の政治家・細迫兼光

この日記で何度も書いているように私のふるさとは山口県厚狭郡山陽町(現在山陽小野田市)鴨庄という集落です。 この集落ではじめての国会議員で、昭和の時代を自分の主張を貫き通した政治家・細迫兼光さんのことを書いておきたい。鴨庄は京・賀茂神社の荘園で…

厚狭の隣、美祢・伊佐の売薬

中世以降江戸時代に至る全国各地の有名な売薬は山岳信仰の修験者・山伏(やまぶし)の活動を背景にしている。越中富山ーー立山信仰 近江甲賀ーー飯道山(はんどうさん)信仰 大和ーー大峰山、当麻(たいま)寺、吉野山などの信仰 木曾ーー御嶽山信仰また実際の流通…

毛利一門家のことなど

私の本「厚狭吉亭日乗」は定年まで勤務した職場の先輩にも送ったのだが、その中の神戸在住のお一人からの連絡で、故郷が山口県の現在下関市域にある阿川(あがわ)と聞きビックリした。 また同じく本を送らせて貰うためにお聞きした中学同窓会の幹事の方の住所…

本が取り持つ「縁」

自費出版した本を山口県在住の中学校同級生の一人に送ったところ、同級生の友人の方も歴史に興味があるとの事で同級生を介して一部送らせてもらった。その後いろいろとやり取りして行くなかで、その友人の方は現在、私のふるさと山口県厚狭それも私の生家が…

厚狭小学校ゆかりの東明寺について

私は昭和37年(1962)の山口県山陽町(現山陽小野田市)立厚狭小学校の卒業生で、この懐かしい小学校は敷地を新幹線が通ることになり昭和46年旧地より北の厚狭川東岸に移転して現在に至っている。この旧小学校の由来は2020、8、15、のこの日記「…

日本外交の祖・陸奥宗光との縁

私の本を送ったなかでいろいろと反響を頂いたが、同級生の一人から手紙とメールを貰い、その中に、母方が紀州の出自で陸奥宗光(むつむねみつ)と縁があったと書かれてあった。 (陸奥宗光は日本外交の基礎を築いたとも言える人物で外務省にその像が立つ)文中…

ふるさと厚狭・松嶽山と美祢・南原寺

山口県在住の中学校同級生に私の本を送ったところ、同級生の友人も歴史が好きで本を読みたいと言われているとの手紙を貰い、喜んで別の一冊を送った。その友人の方は美祢出身で、美祢市伊佐地区にある真言宗南原寺(なんばらじ)が好きで何度も行かれているら…

天下分け目・関ヶ原合戦の毛利家⑦最終回

毛利家が一発の鉄砲も撃てないまま、中国8ヶ国120万石から周防、長門2ヶ国36万石に押し込められた関ヶ原合戦の経過を書いてきたが、ここまできて私なりにその敗戦の要因を整理し直すと。1、まず当時の毛利家、当主輝元を始め一族に、近い将来への共…

リタイア後の漁師暮らし

本業をリタイアしてもう10年近くになろうとしている。 だんだんその暮らしも定着し、稼業を少しと、後は頭(読書、このブログ等)と身体(歩き、ゴルフ、野菜作り等)が劣化しないように毎日のリズムの維持に努めている。中学の同級生の一人に私の本を送ったと…

うなぎ籠(かご)と厚狭川の想い出

畑で使用する用品を、通販・アウトドアのカテゴリーで見てみようと色々当たっていくなかで、たまたま「うなぎかご」「うなぎ筒」という商品が目に留まり釘付けになってしまった。黒く着色した丸い筒状のもので直径が10~15cmくらい、長さが約70cm~1m…

厚狭毛利家⑲初代元康の足跡②

1月31日のこの日記に続く2回目で「関ヶ原ー天下分け目と毛利氏の戦い」展示図録をひもとく。この日記に何度か触れたように毛利家3代目輝元には当初、子がなく、叔父吉川元春、小早川隆景等の承認のもとに、叔父元清の子秀元を後継者含みで養子にした。…

天下分け目・関ヶ原合戦の毛利家⑤

1月29日のこの日記に続く5回目慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原盆地の西方にあらかじめ陣を敷いた石田三成等の西軍に対して、東軍主力の福島正則を先鋒とする豊臣系諸大名や徳川家康の部隊が、南宮山麓に陣を敷いた毛利軍の前面を東から進軍、関ヶ…

厚狭毛利家⑱初代元康の足跡①

関ヶ原合戦の毛利家を追跡する過程で色々な資料を参考にさせて貰ったがその中のひとつが令和元年10月から下関市立歴史博物館で開催された特別展「関ヶ原ー天下分け目と毛利氏の戦い」の展示図録で学芸員松田和也氏が編集執筆されたものである。この資料を…

天下分け目・関ヶ原合戦の毛利家④

1月26日のこの日記に続く4回目3回目まで、合戦前段における毛利家内部の対立や西国での毛利家領土拡大を狙った動きを書いてきたが、 今回は当主毛利輝元が西軍の旗頭として大阪城に入った慶長5年(1600)7月19日から関ヶ原で東西両軍が激突した同…