ふるさと厚狭

中断中のひとりごと⑤稲のウンカ(雲蚊)被害

先日写真撮影のためにふるさとの山口県厚狭に帰省した事をこの日記にも書いたが、そこで農家生まれの私にとって誠に嫌な、痛ましい景色に頻繁に出会ってしまった。稲が倒れた状態になっているのはウンカによる坪枯れ現象で、一定の範囲内の稲が全滅して収穫…

中断中のひとりごと④古地図を片手にまちを歩こう

このブログを抜粋して本にするため故郷厚狭に帰省し写真を撮り直そうと思っていたところ、ネットの情報で、厚狭の旧跡を古地図を片手に巡っていくイベントを知り、訪ねる箇所が私が写真を撮りたい箇所と重なることが分かり、申し込んで参加してきた。ベース…

中断中のひとりごと③適塾塾生桑原氏の墓

このブログ日記から抜粋して本にするため、この際、ふるさと厚狭の写真を取り直そうと一泊二日で厚狭に来ている。この機会に、史料に記載があるものの未だ見ぬ史跡などにも当たって見ようと考えていたが昨日、厚狭の象徴のひとつ物見山の護国神社で出会いが…

厚狭毛利家⑰文書のその後/ブログの一時中断

◎今年3月20日、365話目になる節目のこの日記に厚狭毛利家文書のことも含めて書いた。この文書には初代毛利元康関係の貴重な書状の他、厚狭毛利家の「萩屋敷での日記・御用所日記」や「厚狭屋敷の日記・代官所日記」等がありその一部は第28集(200…

ふるさと厚狭の石炭③

〈8月30日ふるさと厚狭の石炭②の続き〉 昭和の時代に入ると家庭用練炭(れんたん)が普及し始めこれの原料としての需要から昭和7年埴生(はぶ)炭鉱が再開、昭和12年には旧野上炭鉱が生田(いくた)炭鉱として再開した。日中戦争が始まると石炭は産業エネル…

ふるさと厚狭の石炭②

〈8月26日ふるさと厚狭の石炭①の続き〉明治2年4月長州藩石炭局は吉田宰判(よしださいばん、長州藩内西部の行政区画)内の石炭確保に乗りだした。厚狭・郡村荒草(こおりむらあらそう)由田ヶ浴石炭山、同百合野石炭山、及び山川村下村石炭山の3ヶ所が対象…

ふるさと厚狭の石炭①

山口県は地下資源である石炭に恵まれた地域で大嶺炭田や宇部小野田炭田など主に県の西部を中心に炭鉱が開発され明治以後の産業発展に大きく貢献してきた。私は厚狭の山川地区にある厚狭中学校に通ったのだが、その通学路は所々陥没した蓮沼になっており雨が…

厚狭毛利家⑯五代目元連(もとつら)の失脚

長州藩では幕末、実質100万石と言われたその経済的基盤もあって雄藩としての飛躍に至るのだが、藩政の初期は関ヶ原敗戦の後始末や、貨幣経済の発達に米穀基本の体制が追い付かないこと等で常に財政は窮迫状態にあった。この窮迫状態から抜け出すために諸…

ふるさと厚狭の教育事始め④厚狭中学校

8月15日のこの日記に厚狭(あさ)小学校の事を書いたので、やはり続いて厚狭中学校の事を書いておかなければならない。私は昭和40年(1965)の厚狭中学校卒業生で手元にある卒業アルバムを見ると同年は10組、442人の大人数だった。 アルバムから転…

ふるさと厚狭の教育事始め③厚狭小学校

私は山口県旧山陽町(現山陽小野田市)立厚狭(あさ)小学校の昭和37年(1962)の卒業生である。当時の小学校は厚狭殿町(とのまち・厚狭毛利家の居館がこの地にあり付近をこう呼んだ)にあり生家のあった鴨庄(かものしょう・京都賀茂神社の荘園であったことか…

ふるさと厚狭の教育事始め②寺子屋その他

藩政時代に庶民に教育を施したのは寺子屋である。1教室1教師、生徒は普通2~30名程度、その能力や年齢もまちまちで、複々式能力別の教育になっていた。 生徒の内約4分の1が女子といわれる。史料を見ると厚狭(旧山陽町内)には27を数える寺子屋があり…

ふるさと厚狭の教育事始め①/炎天下の辛抱ゴルフ

よく知られているように藩政時代の教育は武士階級を中心にして実行された。 多くの藩で藩校が設立され藩士の子弟が教育を受けたが、長州萩藩でも藩校明倫館がその役目を負った。これにならい長州藩内では、一門や大身の藩士の中にも学館を設ける動きがあり一…

左衛門尉(さえもんのじょう)あれこれ

中学校の同級生からの頼まれ事で、家に伝わる系図の写しの内、遠い先祖について書かれてある来歴を読んで欲しいとの事であった。読んでみると、このご先祖は歴代中国地方の大々名・大内家の家臣とのことで、重臣陶晴賢が、主君大内義隆に謀反を起こして殺害…

500日・500話にたどり着いた

この日記ブログを2019年3月22日から書き始めて、とうとう所期の目標500日、500話に今日到達した。 読んで頂いている皆様の励ましで何とか途切れず継続出来たことに心から感謝します。「はてなブログ」のことがインターネット上で簡単に始められ…

明治のふるさと厚狭①厚狭駅の開業と日本海海戦

昭和懐メロの定番のひとつに「ああ上野駅」という井沢八郎さんが唄った歌があり「♪上野はおいらのこころの駅だ♪」と唄われるが、私にとってのこころの駅は山陽本線厚狭駅になるだろう、帰省の度にここに降り立つ。 現在の厚狭駅 明治時代になると新橋~横浜…

厚狭中同期打球会の会合

昨日は大阪に住む故郷、山口県山陽町立厚狭中学校の同級生でゴルフをたしなむ3名「厚狭中同期打球会」の久しぶりの会合で夕方から大阪天王寺の和食店「がんこ」へ。最近全くゴルフ会も出来ておらず、コロナの関係もあり躊躇するところもあったが、以前から…

ふるさと・厚狭の特産「赤間硯」の歴史

私の子供時代、多分昭和30年代頃だと思われるが、山陽本線と美祢線の駅である、国鉄厚狭駅の切符売場の近くに厚狭特産品コーナーとしてガラスのショーケースが置かれ、その中に紫色の「赤間硯」(あかますずり)が名札と共に陳列されていた記憶がある。 ☆ち…

山陽道厚狭宿

[この項は故郷の歴史をずっと書いてきたものの一つですが、ゆかりの人以外には分かりにくい固有名詞がとても多くなっており、大変申し訳ありません。]私の故郷、山口県厚狭(現山陽小野田市)のまちが古代から山陽道の宿駅で、一時期山陰道と山陽道を結ぶ枝道…

厚狭の領主・三沢為虎②

〈6月14日の続き〉 厚狭下津に居を構えた三沢為虎が在邑中、関ヶ原合戦が勃発する。為虎は上方への軍勢先手に加わることを毛利輝元へ嘆願するも入れられず、赤間関(下関)守備に配された。関ヶ原戦後毛利家の中国地方八ヵ国から防長二ヵ国への減封に伴い、…

厚狭の領主・三沢為虎①

私の故郷厚狭(現山口県山陽小野田市厚狭)はこの日記でも書いてきた通り、江戸期藩政時代を通じて厚狭毛利家と熊谷家の領地であったが、厚狭毛利家が入部する直前までは、毛利家に属した三沢為虎が厚狭一円を知行していた。三沢氏は清和源氏の出自で、鎌倉時…

幕末長州藩の海防僧・月性の漢詩

幕末に周防国(現在の山口県東部)熊毛郡に生まれた僧月性(げっしょう)は外国からの侵略に対する海防の必要性を長州藩内中枢や松下村塾吉田松陰や塾生等に説いて長州藩の幕末、維新に於ける政策活動に影響を与えた人物だが、先ほど読み終えた「幕末維新の漢詩」…

禁門の変責任者三家老、福原越後②

〈5月20日の続き〉 関ヶ原戦後の徳川幕藩体制下で周防長門2ヶ国(現在の山口県)となった毛利家では支藩長府、徳山、別家岩国吉川、一門六家(宍戸、右田毛利、厚狭毛利、吉敷毛利、阿川毛利、大野毛利)永代家老二家(福原、益田)の基本体制が確立した。大坂…

「禁門の変」責任者三家老、福原越後①

長州藩が幕末に引き起こした「禁門の変」で責任を問われ切腹した三家老の一人国司信濃のことを既に書いたが、国司氏の他にもう一人、ふるさと厚狭に所縁があるのが福原越後である。福原越後は現在厚狭が含まれる山陽小野田市の隣、宇部市周辺の領主であり、ま…

ゆかりの人びと・山陽道厚狭の町③懐かしい方言②

5月15日の続き、「ゆかりの人びと」に記されている山口県厚狭地方の方言の数々のうち私の記憶のなかにあるもの。・お前は東京の学校へいくげなが、遠いけいのう、ばあさまは、はあ、いつ死ぬかわからんけえ→お前は東京の学校へ行くそうだが、遠いからね、ば…

ゆかりの人びと・山陽道厚狭の町②懐かしい方言

5月13日の続き。 「ゆかりの人びと」を面白く読んだ事の一つは私がふるさとで話したり、父母、祖母、親戚、近所、あるいは友達などから聞いていた懐かしい方言の数々がふんだんに出て来ているところにあると思われる。折角与えられた機会なので、この本に出…

ゆかりの人びと・山陽道厚狭の町①

私の故郷・厚狭出身水沢耶奈さんの書かれた「ゆかりの人びと・山陽道厚狭の町」築地書館発行、を面白く読み終えた。 と言っても水沢さんのことはこの本を読むまで全く知らなっかたのだが。略歴を読むと1905年生まれとの事で私よりはるか年上の大先輩で厚狭…

故郷の図書館の想い出

私の子供時代、故郷厚狭の図書館には大変お世話になったし想い出が沢山詰まっている。小学校の校門を出た直ぐそばの左手にあり、子供の私から見ても洒落た洋風の造りの2階建、名前が「山下記念厚狭図書館」だった。一階は雑誌などが置いてある読書や勉強スペ…

厚狭の隣村万倉の領主・国司信濃②

5月6日の続き、 国司信濃が長州藩家老職に就任する時期、藩では大きな危機を迎えることになる。文久3年(1863)8月18日の政変で長州藩は尊攘派七卿と共に京都から追放された。 元治元年(1864)6月池田屋事変で新選組により長州藩士吉田稔麿等多…

厚狭の隣村万倉の領主・国司信濃①

私の故郷、山口県厚狭の東の山を越えた隣が今は宇部市の一部になっている万倉(まぐら)で、父方の親戚もあり馴染み深い村と言えるが、この地域を藩政期を通じて知行地としていたのが長州藩寄組(一門の次に位置する上級家臣集団)の国司(くにし)氏である。全く…

故郷厚狭の天神祭・大行司小行司②

4月30日記事の続き。 子供の頃の記憶に残る郷里厚狭天神祭りの大行司小行司行列について、日本最古の天神様、防府天満宮に問い合わせして解ったことは以下の通り。1、もともと天神祭り(御神幸祭)は、天皇の御使い、勅使を防府天満宮に迎え菅原道真の無実…