ふるさと厚狭

厚狭毛利家代官所日記No51慶応2年(1866)⑥軍艦購入費の献納と玉木文之進

四境戦争が孝明天皇の勅命で休戦、実質勝利に終わった後、厚狭毛利家のある長州藩吉田宰判では此の後の防備のために軍艦を購入する費用を村々が献納したことが代官所日記に記されている。 9月23日に記録されている願書覚え(この部分は山陽町史の訳を引用)…

厚狭毛利家代官所日記㊿慶応2年(1866)⑤四境戦争・小倉口での不幸な出来事

1月30日のこのブログに厚狭毛利家・強義隊が小倉口から凱旋し戦死者4名を祀るため領内挙げて招魂場の建設が行われたことを書いた。 代官所日記にはこの戦死者とは別に夫卒(人夫)の行方不明者についての記載がある。 ・12月4日の記録 『去る7月強義隊…

厚狭毛利家代官所日記㊾慶応2年(1866)④招魂場の建設

四境戦争から凱旋し戦死者も出たところでその霊を祀るため長州藩挙げて各地に招魂場を建設することが進められた。 厚狭毛利家領内に於いてもこれに呼応した動きが11月16日から12月6日までの日記に記録されるているが、全体の字数が多いので現代語に直…

厚狭毛利家代官所日記㊽慶応2年(1866)③藩主家との繋がり

厚狭毛利家領内の民政などを記録した慶応2年10月9日の日記 『若殿(長州藩世子・毛利元徳(もとのり))様先達て伊佐(いさ・現在美祢市)を通り馬関(ばかん・下関)へお越しになった処、昨夜吉田(現在下関市)へお泊まり今日船木(ふなき・厚狭毛利領)にてお昼を…

厚狭毛利家代官所日記㊼慶応2年(1866)②献金による士分取立て

長州藩が幕府の大軍と戦う「四境戦争」に当たり庶民に対しても軍用金の要請が色々な形でなされている。通常多額の献金に対しては酒肴で饗応したり名字や帯刀を許すことで応えるケースが多い。 慶応2年は下関攘夷戦争、太田絵堂の内乱、四境戦争と続く戦乱で…

映画「峠」

住んでいる施設の映画会で昨年公開された映画「峠」を観た。副題が「最後のサムライ」となっており描いている時代が重なるトム・クルーズ主演の映画「ラストサムライ」を意識しているのかも知れない。 幕末の官軍対佐幕派・奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱ…

厚狭毛利家代官所日記㊻慶応2年(1866)①小倉口への参戦

幕府の大軍と長州藩が直接戦火を交えることになった第二次長州征伐・四境戦争は慶応元年(1865)4月に征討令が発せられたものの実際に幕府軍が攻撃を開始したのは翌年慶応2年6月であった。 長州藩は四境(大島口、芸州口、石見口、小倉口)全てで優勢に戦…

適塾のことなど

江戸時代は想像以上に教育システムが出来上がった時代であった。例えば庶民までも含めた識字率は世界トップクラスと云われ一説には全国平均で50%を超えていたとされる。 江戸には幕府の昌平坂(しょうへいざか)学問所がありそれぞれの藩には藩校があった。…

歴史探偵「戦国大名・島津、強さのルーツに迫る 」

NHKTVに「歴史探偵」という番組があり探偵社の所長役が俳優の佐藤二朗さんで、色々な歴史のテーマに対し独自の調査を行い、その要因や源流を解明する番組スタイルになっている。 佐藤二朗所長と探偵役のNHKアナウンサーとのやり取りも面白くてテーマを選んで…

今年聞いた山口の方言

「おいでませ」が知られるようになった山口県地方の方言だが、懐かしい言葉を離れた土地で聞くと結構沁みて来るものがある。 「山口県は中央志向が強い」とは作家・古川薫さんの言葉で、私も住んでいた折りは標準語に近いと思っていたが、離れて客観的に言葉…

厚狭毛利家代官所日記㊺慶応元年④戦争準備

慶応元年(1865)は長州藩が幕府の大軍を迎え興廃を掛けて戦う四境戦争(第二次長州征伐)の年であり、4月に幕府は諸大名に動員令を発した。その後実際に幕府が長州に攻撃をかけるのが翌慶応2年6月であり、この一年強を長州藩は軍制改革、軍備増強に邁進…

長府歴史博物館あれこれ

長府(ちょうふ)は字の通り律令(りつりょう)制下、長門国(ながとのくに)の国府があったところで現在は下関市に含まれる。 藩政時代は萩・毛利家の支藩・長府藩5万石の支配下にあり、藩祖は関ヶ原合戦の折り毛利全軍を率いた毛利秀元である。 私の郷里・山口…

角川地名大辞典・山口県③防長風土注進案(ぼうちょうふうどちゅうしんあん)

12月月20日のブログの続き 「地名大辞典・山口県」の月報に田中彰氏(当時北大教授)の「防長風土注進案と地名」と題した寄稿文が掲載されている。 田中氏はこの注進案の地名を例に挙げ、行政の側から勝手に地名を変えたり、作ったりすることだけは断固と…

角川地名大辞典・山口県②山口県特有の地名

12月17日ブログの続き 地名大辞典・山口県の月報に当時三重大学教授・鏡味明克氏が寄稿された「山口県の地名」という文章があり、他県に少なく山口県に多い固有の地名の三例が挙げられている。 何れも私のふるさと厚狭にも関連した地名がありここに書い…

角川地名大辞典・山口県①地名のアクセント

日本の地名辞典のなかでも角川書店が昭和53年から順次発行した「日本地名大辞典」は都道府県毎に一冊、全47冊に及ぶもので私も殆んど揃えていたが、引っ越しで処分して山口県のものだけ残して置いた。 今考えると兵庫県の分も残して置いた方が良かったか…

厚狭毛利家代官所日記㊹慶応元年③当主の処分②

12月10日のブログの続き 厚狭毛利家当主が謹慎処分を受けたまま山口から厚狭に帰還した慶応元年(1865)閏(うるう)5月の記録の要約続き ・当主の直書(じきしょ)示達を受け家臣のなかで議論が沸騰した。このため家臣全員を呼び出し連名で異存が無いこ…

厚狭毛利家代官所日記㊸慶応元年②厚狭毛利家当主の処分①

元治元年(1864)から慶応元年(1865)にかけての幕末長州藩内の混迷期、政争や内戦を当時の厚狭毛利家当主・毛利能登(元美)と嗣子・宣次郎は、幕府寄りの姿勢をとる俗論派政権で加判役(家老職)や内戦時の総指揮官(撰鋒隊総奉行)を勤めていたことは順次…

厚狭毛利家代官所日記㊷慶応元年(1865)①名前の禁制/櫨の木

この頃の代官所日記にはやはり当主が参画している長州藩の内戦に関わる記述が多く、これらは別途経緯をブログ内で書いているのでここでは省略する。 9月12日のこのブログで元治元年12月に厚狭毛利家の養嗣子で俗論派部隊の総指揮官に就任した毛利宣次郎…

「暗殺の幕末維新史」③長州藩内戦時の暗殺事件

今回もあまり世間には知られていない長州藩内の暗殺事件を書いてこの項の終わりにしたい。 これまでこのブログでも書いて来たように、幕末の長州藩では松下村塾系の人々を軸とした尊皇攘夷派いわゆる正義派と門閥系が中心で幕府に恭順することを是とする俗論…

日本語・国語についてのあれこれ/蕎麦の写真

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は最近相当人物の入れ替わりが激しいが、なかでも存在感のあるひとりが後鳥羽上皇のアドバイザー「慈円僧正(じえんそうじょう)」、この振る舞いを見て以下を書くつもりになった。 慈円を演じているのは山寺宏一という方で、…

中学校の関西同窓会

昨日は大阪北新地で約半年ぶりの同窓会に参加してきた。 山口県に住む女性2人がこれに合わせて関西に来て、こちらに住む2人と合流して女性組4人(尚、本人達の自称は若草四姉妹!)で神戸、姫路と観光するとのこと。 同級生の皆さんには私のブログをいつも…

招魂場(しょうこんじょう)あれこれ

私たちが通った山口県厚狭郡山陽町立厚狭小学校は旧厚狭毛利家居館の近く殿町(とのまち)地区にあり、その近く真東の物見山(ものみやま)山腹に「招魂場」があり校舎を見下ろしていた。 厚狭の象徴・シンボルを挙げるとすれば、松嶽山(まつたけさん)、厚狭川、…

幕末の「長州砲」追い求めて

日経新聞の文化欄で突然「長州砲」の文字が飛び込んできて目が釘付けになってしまった。 大阪学院大学の総合学術研究所長・郡司健(ぐんじたけし)氏が書かれた「幕末の長州砲追い求めて」という寄稿文である。 専門は会計学らしいが先祖が長州藩で大砲の鋳造…

水戸藩と長州藩に見る派閥抗争

伊東潤著「幕末雄藩列伝」角川新書刊 を読んでいる。著者は最近色々な歴史番組にも顔を見かける気鋭の歴史小説家で、私も水戸藩天狗党の争乱を扱った「義烈千秋 天狗党西へ」等を読んだことがある。 この本が取り上げているのは300諸侯と言われた諸藩の内…

四境戦争・厚狭兵(強義隊)の小倉口への参戦

10月16日のブログの続き 慶応2年(1866)周防大島・大島口の戦いで始まった長州藩にとっての祖国防衛戦争は、過去の厚狭毛利家の俗論派寄りの立場もあり当初厚狭兵は動員から外されていたようである。 明治21年に記されたふるさと厚狭の戦死者を祀…

四境戦争(第二次長州征討)

元治元年(1864)の第一次長州征討では長州藩が幕府に恭順する姿勢を示すことで解兵したが、その後長州藩では急進反幕の正義派主体の藩政府に変わり、それを察知した幕府は慶応元年(1865)第二次長州征討の動員令を各藩に発した。 幕府の大軍は長州の四…

本願寺のことなどあれこれ

私は現在に至るまで周りの宗教行事には素直に従うものの基本的なところでは無宗教無信心である。 山口県の実家は浄土真宗西本願寺系の門徒であり母親は常にお勤めと奉仕を欠かさなかった。 妻の方は東本願寺系の寺で門徒のグループ・講にも入れて貰っていた…

四境戦争に対応した長州藩軍制改革と厚狭③

このブログ9月29日の続き 迫り来る幕府、諸大名の大軍を前にした慶応2年(1866)長州藩の軍制改革後の編成は、 正規軍8535名、清末・徳山・長府各支藩隊2113名、奇兵隊など諸隊1500余名、農商兵1600名余 合わせておよそ1万4千人であ…

故郷が生んだ外務大臣・青木周蔵と明治天皇のエピソード

2019年5月1日のこのブログで「青木周蔵を知っていますか」と題して私の郷里山口県厚狭郡山陽町(現山陽小野田市)が輩出した唯一の大臣・青木周蔵のことを書いたことがある。 明治時代に黒田清隆、山県有朋両内閣で外務大臣を歴任し、幕末に結ばれた欧米…

長州人の戦友を想う言葉

先日行われた安倍元首相の国葬で友人代表・菅前首相の弔辞は色々なマスコミが取り上げていた。 その中で菅さん自身の思いを最もよく詠み込まれた歌として紹介されたのが、山県有朋が伊藤博文に先立たれた際に詠んだ次の歌であり複数の新聞が載せていた。 【…