2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

厚狭毛利家代官所日記㊵元治元年(1864)④農兵の実態

8月11日のこのブログで、長州藩内は元治元年12月16日の高杉晋作の下関挙兵から正義派と俗論派との内戦に突入し、厚狭毛利家当主・能登が俗論派として諸隊追討総奉行兼先鋒隊総奉行を拝命、高齢のこともあって養嗣子・宣次郎が引き継いだこと迄を書い…

株式投資あれこれ

今日の表題はあまりこのブログには似合わないかもしれない。 孫の一人からLINEが来て、将来に向けて「株式投資」のことを勉強したいがどのようなことから始めたらいいかという趣旨だった。誰かに教わったわけではないが、自分なりに色々学習したり実践したり…

ふるさと厚狭周辺の神功皇后(じんぐうこうごう)伝説

8月27日のこのブログの続き4世紀半ばとされる仲哀(ちゅうあい)天皇の后(きさき)・神功皇后が朝鮮半島に出陣してその地を服属させたとの「日本書紀」の記述は、西日本各地に関連した伝説として拡がっている。例えば娘の住む岡山県倉敷には二万(にま)とい…

秀吉の二度の大返し

私の引っ越した神戸の西の端の高台からは西国街道・旧山陽道を俯瞰(ふかん)出来る位置にありついこの事を書かねばと思ってしまった。豊臣秀吉はその生涯で二度大軍を率いて反転し大攻勢に転じることで戦局を有利に導き大勝を博した。最初は本能寺の変の急報…

「日本はこうしてつくられた」と神功皇后(じんぐうこうごう)伝説

作家・安部龍太郎さんの「日本はこうしてつくられた・大和を都に選んだ古代王権の謎」小学舘 刊 を読んでいる。 著者は中世や戦国時代の作品が多かったが、現在日経新聞に連載中の「ふりさけ見れば」など古代にその興味や軸足がが移ってきているらしい。紀伊…

節刀(せっとう)とは

日経新聞に連載の作家・安部龍太郎さんの小説「ふりさけ見れば」は奈良時代遣唐使の物語である。先週分は遣唐使から帰国した吉備真備(きびのまきび)が左遷の境遇からの挽回を期して、仏教の戒律を知る鑑真和上(がんじんわじょう)を唐から招聘するため再度第…

街道をゆく「神戸散歩」

大阪から旧播磨国の東端、兵庫県神戸市の西の端に当たる地に引っ越してきたので周辺の勉強を兼ねて司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズの関連する三章を読み直しているがその第三回最後になる「神戸散歩」司馬さんは当時住んでいた大阪と神戸の街の性格…

厚狭毛利家代官所日記㊴元治元年(1864)③播州竜野藩とのつながり

元治元年の長州藩と云えば、これまで書いてきたように内にあっては「禁門の変」で京から敗走して「朝敵」になり、第一次長州征伐で幕府の大軍を迎え、外にあっては4ヵ国連合艦隊の下関砲撃を受け、内憂外患滅亡の縁に立たされた年である。これを受けこれま…

甲子園決勝戦と白河の関

昨日は夏の甲子園決勝戦で宮城県代表・仙台育英と山口県代表・下関国際が戦い、仙台育英が8ー1で下関国際を圧倒した。 私は山口県生まれなので当然ながら下関国際を応援していたのだが、準決勝までに感じられた流れを引き寄せる力が、仙台育英の総合力に遮…

芥川賞「おいしいごはんが食べられますように」

第167回(令和4年上半期)芥川賞受賞作、高瀬隼子(たかせじゅんこ)著「おいしいごはんが食べられますように」を読み終えた。 芥川龍之介賞の受賞作はいつも月刊誌・文藝春秋に掲載されることが決まっており、施設のライブラリーには文藝春秋の新刊が毎号届…

雨のなかを歩く

今朝は珍しく雨模様、いつもの体操、朝食を摂っても止まない。 ルーチンになっている「歩き」をどうするか? 美味しい珈琲を飲むためにはやはりいつも通り歩くに限ると思い直して、傘をさして出かけてきた。というのもいつも歩く健康公園は歩経路が吸水性の…

源(げん)と平(へい)の成立②

8月15日の続き『臣籍に降下した源氏のなかで多くの者は数世代で零細な存在になり、特に清和源氏が地方に土着して武家化しついには後代、関東を制する事になる。平氏のなかで関東で土着するのは桓武(かんむ)平氏で、それぞれ地名を名字にして千葉、上総(か…

「二十四の瞳」

NHKBSの特集ドラマ「二十四の瞳」を録画していたがようやく見終わった。 云うまでもなく瀬戸内の小豆島を舞台にした戦前、戦後にかけての物語。岬の分教場に赴任した新任おんな先生・大石先生と受け持った12人の新一年生の交流が戦争を挟んだ時代のなかで…

ミュージカル映画「ドリームガールズ」

施設の小規模映画会で米映画「ドリームガールズ」を鑑賞した。 もともとブロードウェイミュージカルが先行したストーリーらしく終始声量たっぷりの歌声で満たされるミュージカル映画で、女性コーラストリオの成長と葛藤が描かれる。ミュージカル映画と云えば…

街道をゆく「明石海峡と淡路みち」

播磨国の内へ引っ越してきたので司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の内、関連の部分を読み直す第二弾「明石海峡と淡路みち」 とにかく神戸市の西の端に引っ越して一番良かったことを挙げると南面全体に広がる海の風景かもしれない。明石海峡はベランダからは前…

「IT開発で失敗は不可避」

日経新聞で久しぶりにグサリと胸に刺さった記事に出会った。 経済教室という紙面に「私見卓見」というコラムがあり主に経済人などが色々な意見を投稿されている。今回「IT開発で失敗は不可避」との意見を出されたのは圓窓代表取締役という肩書きの澤 円とい…

源(げん)と平(へい)の成立①

直近のNHK大河ドラマが「鎌倉殿の13人」で久しぶりに源氏と平氏に焦点が当たっている。播磨国を知るべく司馬遼太郎さんの「街道をゆく」を読み直すため図書館で司馬遼太郎全集の該当する巻を借りだし読み始めているが全集各巻には月報という小冊子が附属し…

「ちむどんどん」披露宴

今週の朝ドラ「ちむどんどん」での主人公・暢子と和彦との結婚式披露宴では二つの新しい出会いがあった。①そのひとつがレストラン「フォンターナ」のオーナー・房子のあいさつで紹介された。 先ずわかったことはフォンターナとはイタリア語で泉のことらしい…

森鷗外と松本清張

今年2022年は森鷗外の没後100年と松本清張没後30年が重なる年であるらしい。 森鷗外は新聞や雑誌で取り上げられ、松本清張は主にTVでと、違う媒体がそれぞれを競っているように見える。夏目漱石と並んで明治の文豪の双璧といわれる森鷗外は、島根県…

街道をゆく「播州揖保川(いぼがわ)・室津(むろつ)みち」

播磨国の内へ引っ越してきたので司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のなかの播州部分を読み直すことを書いたがその第一弾として「播州揖保川・室津みち」を読んでいる。揖保川と言えば中国山地の山並みから播州宍粟(しそう)郡、竜野(たつの)を経て南下して播磨…

厚狭毛利家代官所日記㊳元治元年(1864)②当主の諸隊追討総奉行就任

厚狭毛利家当主・毛利能登は8月7日のブログの通り元治元年9月長州藩俗論派政府の家老職に就いたが、折から第一次長州征伐で幕府軍が国境(くにざかい)に迫っており、能登は岩国分家の当主・吉川監物(きっかわけんもつ)等と協力して幕府側と折衝に当たるな…

映画「梅切らぬバカ」

昨日は入居している施設の少人数映画会で日本映画「梅切らぬバカ」を鑑賞した。占い師として自立した母親と50歳になる自閉症の息子が二人で暮らす民家の隣に3人家族が越してきて、トラブルの後にお互いを理解するようになっていく。自閉症の息子が将来独…

誕生日と長崎忌「なぜ太平洋戦争を始めてしまったのか」

今日8月9日は私の誕生日だが長崎原爆忌でもある。この年齢になると誕生日は冥途への一里塚のような気もしてあまり感慨はないが、8月のこの頃になるとマスコミの影響もあり、なぜあの無謀とも云える太平洋戦争を始めたのかをついつい考えてしまう。日本史…

墓参り

昨日は岡山・倉敷から来た娘が施設の私たちの部屋に前泊して合流、私の車で3人、お盆には少し早い墓参りに大阪八尾へ行ってきた。 引っ越してから一度玉葱収穫も兼ねて立ち寄り、その時墓参りもしたのでおよそ2ヶ月ぶりとなる。大阪に下宿中の孫も合流する…

厚狭毛利家代官所日記㊲元治元年(1864)①当主の加判役就任

〔厚狭毛利家代官所日記は残念ながら文久3年(1863)10月から元治元年(1864)8月までが欠落している〕長州藩では幕末この当時を表す「元治の大局(げんじのたいきょく)」という言葉があり、この頃時勢は大きく転回を始める。・元治元年6月5日 京で…

中国者(ちゅうごくもの)の律儀(りちぎ)

「中国者の律儀」という言葉がある。 この場合の中国者というのはもちろん、大陸の中国を指すのではなく山陰、山陽の中国地方ということである。 また律儀とは義理かたく実直なことをいう。この言葉の最初は中国地方の太守・毛利氏を表す事から発し、信長の…

塩野七生さん各人各句③フリードリッヒ二世

8月1日の続き、中世の西洋世界で宗教を背景に絶対の権力者であったキリスト教会に反逆した神聖ローマ帝国皇帝・フリードリッヒ二世は、俗世の最高権力者で十字軍も率いたが、聖地イエルサレムの回復と云う難事業をイスラム教徒の血を流さず外交でやり遂げた…

「三屋清左衛門残日録」

「三屋清左衛門残日録」は作家・藤沢周平の代表作のひとつである。 私たちの時代、歴史、時代小説の分野での双璧と云えば司馬遼太郎と藤沢周平であった。双璧と云ってもその作風スタイルは全く違い、司馬さんは物事を大きく俯瞰して時代を動かすような立場か…

初めての句会

昨日は人生初めての句会に出席した。 同級生からの意見もあって出来るだけブログに写真を添付するようにしているが、写真にはやはり少しの紹介が必要でこれを短歌か俳句のようなものにすれば良いのではとかねてから思っていた。引っ越した施設のサークル活動…

「播磨灘物語」

私が引っ越してきた神戸市垂水区は旧国名で云うと播磨国(はりまのくに)の東の端に当たる。 旧い地図を見ると、となりの須磨より東が摂津国(せっつのくに)であり何とか播磨国にすべりこんだ気がしている。播磨の西は千種川(ちぐさかわ)で岡山・備前国(びぜん…