甲子園決勝戦と白河の関

昨日は夏の甲子園勝戦宮城県代表・仙台育英山口県代表・下関国際が戦い、仙台育英が8ー1で下関国際を圧倒した。
私は山口県生まれなので当然ながら下関国際を応援していたのだが、準決勝までに感じられた流れを引き寄せる力が、仙台育英の総合力に遮られて上手く機能せず誠に残念な結果に終わってしまった。

昨日戦い終わった後の、中学同級生のグループLINEには残念さとご苦労さんがあふれていた。

昨日の毎日新聞ではこの決勝戦のことを「関」・「関」対決のように見出しを付けており、なかなか面白い着眼点だと思いここに書かせてもらうきっかけになった。

今まで東北地方、北海道地方には優勝旗が持ち帰られた事がなく仙台育英が勝てばこの地域初めての偉業になるらしい。

現在の福島県白河市に古代より設けられていた白河関(しらかわのせき)は奥州との境を象徴する重要な関であり、もし仙台育英が勝てば史上初めて優勝旗が白河関を越えると云う意味で「関」と毎日新聞は書いた事になる。

芭蕉が「奥の細道」で白河関を越えて奥州に入る感慨を「白河関にかかりて旅心(たびこころ)定まりぬ」と書いたようにこの関が古くから特別な場所であったことが分かる。

もう一方の「関」は云うまでもなく下関であり、私などは池永投手のいた下関商業のイメージがまだ残っている。

ところで東北、奥羽の人々を悲憤、発奮させた言葉に「白河以北一山百文(ひとやまひゃくもん)」という言葉があり、確定した裏付けはないが、明治維新を決定付けた「戊辰戦争」で薩摩や長州の官軍が奥羽列藩同盟軍側をこう呼んで嘲ったという説が一般的である。

私は長州の生まれでこの事を以前から大変申し訳なく思っていた。

今回の決勝戦では下関国際を残念に思う反面、仙台育英が優勝旗を持って白河関を北へ越えることが出来ることで「白河以北一山千両」になると喜ぶ気持ちが大いにある。

【歩く汗 変わらぬ想い 処暑の朝】

🔘健康公園の管理事務所横の朝顔に水滴がかかっている。