アメリカの古い旗

月刊誌「文藝春秋」には昭和史研究家・保坂正康(ほさかまさやす)さんが「日本の近現代史を再検証する」というキャッチフレーズで「日本の地下水脈」という題の連載を続けられており先月今月は日米関係の近代史が色々な角度から検証されている。

そのなかで今月8月号に今まで全く知らなかった面白いエピソードが書かれてあった。

日本の敗戦で終わった太平洋戦争の降伏調印式は昭和20年9月2日東京湾に来航したアメリカ戦艦・ミズーリ号の船上で行われた。
このときマッカーサーの指示で掲げられた米国旗はとても古びたもので幕末に日本の鎖国をこじ開けたペリー提督の艦隊が掲げたものであったという。

保坂さんの見方ではこれは「日本を国際社会に引っ張り出して、ここまで発展させたのはアメリカの力あってのことだ。二度と逆らうな」というメッセージが込められていたという。

米国東インド隊司令官・ペリー提督の最初の来航は嘉永6年(1853)、翌安政元年(1854)再来航して日米和親条約を締結した。

その後の歩みは決して平坦でなく、今私が読み込んでいるふるさと厚狭の厚狭毛利家代官所日記ではペリー来航の10年後の文久3年(1863)長州藩は下関で米軍艦・ワイオミング号に砲撃、交戦、翌元治元年(1864)米国は英、仏、蘭と組んで下関に報復来襲、上陸して砲台を占領した。

その後日露戦争の講和交渉を時の大統領・セオドア・ルーズベルトが仲介したように日米は新興の帝国主義国として親近感で結ばれたようにみえるが、日本が大陸に深く進出するに従い中国市場を巡って対立し遂に太平洋戦争に至る。

また戦後日本がアメリカの支援を受けて復興し、そのまま高度経済成長を遂げて経済力でアメリカに迫る勢いを示すと、あらゆる圧力をかけて日本経済を押さえにかかったことは記憶に新しい。

私なりに日米関係を概観すると、アメリカは日本と利害関係を同じくしている時は極めて友好的で支援を惜しまないが、いったん利害が衝突すると徹底的に従属を求め、アメリカの古い旗を出して「逆らうな」と言ってくる。

また保坂さんは「日本の地下水脈」のなかのひとつとして保守的な「攘夷思想」が脈々として流れ続けていることを
指摘している。

現在の東アジア情勢からは日本とアメリカの利害関係は完全に一致しており日米関係はかつて無いほど親密のようにみえる。
しかしアメリカには古い国旗があり最近では国内の分断が著しい、また日本には古くからの攘夷思想があり現在の経済的な停滞がある。
これら過去と現在を忘れず充分考え抜くことが今後の日本の進路や日米関係にとってとても大切だと記事を読みながら感じた次第である。

🔘健康公園樹木シリーズ、コブシ
今日歩いていると道を外れた遥か下の方で桃色の実が成っているのを見つけた。恐る恐る降りて樹を見ると「コブシ」とあり、面白い形の実で名前のとおり何やら拳(こぶし)の形に似ている

コブシと言えば千昌夫さん「北国の春

♪︎♪︎白樺 青空 南風
こぶし咲くあの丘
北国のああ北国の春♪︎♪︎

どんな花が咲くのだろう、楽しみに待ってみよう。