2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

蘇鉄(そてつ)あれこれ

毎朝歩く健康公園は数ヵ所に大きな蘇鉄がその存在感を見せている。 蘇鉄を見るとつい口ずさみたくなる歌がいくつかあるが、考えてみると当たり前でみな南の歌である。・三沢あけみさんが唄った「島のブルース」♪︎♪︎奄美なちかしゃ 蘇鉄(そてつ)のかげで 泣け…

北条政子の歴史を変えた大演説②

6月25日の続き主だった東国武士、鎌倉御家人を集めた北条政子の演説のポイントはおよそ次の通りであった。・故右大将頼朝が朝敵を征伐し関東(鎌倉幕府)を草創して以降、御家人達は「官位」「俸禄」も手に入れた。 その恩は山より高く海より深い。その恩に…

「播磨百人伝(はりまひゃくにんでん)」

駅前に用事がありマイクロバスで出掛けたが、時間調整もあり先日借り出しカードを作った図書館に寄った。 引っ越した地域の歴史などがわかる本がないかと探して借りたのが、寺林 峻 著「播磨百人伝」神戸新聞総合出版センター刊である。 私の新住所・神戸市…

引っ越し後1ヶ月を超えて

大阪八尾から神戸西方の高台にある、元気なうちに入るマンション型介護付き老人ホームに引っ越してようやく今少しばかり落ち着いて来たような気がしている。数年前からこのようなことを考えはじめ、何ヵ所かを家内と見学、娘の住むところとの距離、立地条件…

「街道をゆく・長州路」④奇兵隊

6月24日の続き長州人に関わる司馬遼太郎さんの「長州路」の記述を抜粋していく。司馬さんが山口・湯田温泉を訪ねた時の話。『長州は奇兵隊の国である。「何か民謡をやってくれませんか」とTさんが芸妓(ネエサマ)にたのんだ。ーーー 出たのは「男なら」と…

北条政子の歴史を変えた大演説①

現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では小池栄子さんが頼朝の妻で北条義時の姉に当たる北条政子を演じられている。 (正直に云うと私はこの番組の熱心な視聴者ではないのです)政子は頼朝亡きあと実子である二代将軍頼家(よりいえ)、三代将軍実朝(さ…

「街道をゆく・長州路」③怜悧(れいり)とは

6月19日の続き、長州人に関わる司馬遼太郎さんの「長州路」の記述を抜粋する。【幕末になると水戸(藩)あたりでは、「長州人は怜悧という評判があり、うかつに手を結べない。結べばかんじんなところで体(たい)をかわされるおそれがある」という観察もあり…

厚狭毛利家代官所日記㉜文久3年(1863)③

6月15日のこのブログ番外編で書いたように文久3年5月10日攘夷(じょうい・外国船討ち払い)実行期日に、下関での実行責任者であった厚狭毛利家当主・毛利能登はその不手際をとがめられ謹慎処分、後任には厚狭毛利家嗣子・宣次郎が就いて攘夷戦の指揮を…

霧がやってきた

昨日午後から今朝にかけて住んでいる神戸の西方では「すごい」と呼ぶしかないような重い霧が押し寄せて来た。 昨日は歩いていると空気中の水の微粒子が目にも見えて、海の方から風に乗って沸き立つようにやって来るような感じであった。今朝も窓を開けるとそ…

円安のなかで考える

昨今の1ドル135円前後の為替をあらゆるマスコミが「急激な円安」と呼んで、毎日のニュースの格好のネタになっており私も一度はここで書いておかなければとつい思ってしまった。年の始めには1ドル110~115円程度であったことを思うと、ある角度か…

母の日・父の日プレゼント

今年の母の日は引っ越しの真最中に当たり娘の方もこちらも共に忙しくパスしてしまっていた。 それで少しだけ落ち着いた昨日の父の日に、遅くなった母の日プレゼントと父の日プレゼントを持って娘が来てくれることになった。現在どこの施設もそうであるように…

「街道をゆく・長州路」②「しあわせます」

6月17日の続き、司馬遼太郎さんの「街道をゆく・長州路」のなかから、私も何かしら感じるところがあるふるさとの長州人を表した部分を何回かに分けて抜粋していく。『ーーー山口県というのは自然がまろやかで、気候は温和であり、お行儀や言葉づかいの品…

すもも(李)のはなし

毎朝の習慣で朝ドラ「ちむどんどん」土曜ダイジェスト版を観た後、隣接の健康公園に「歩き」のノルマを果たすべく向かったが、今朝は今まで気付かなかった懐かしい果実「李(すもも)」の樹に出会った。歩いていると樹を見上げている人がいて、何事かなと思い…

「街道をゆく・長州路」①

最近NHKTVで作家・司馬遼太郎さんの長大な紀行作品を原作にした「街道をゆく」が再放送されている。 司馬さんが1971年から1996年にかけて国内外を旅してその歴史や風土、人の生き方などを縦横に書いて週刊朝日に連載し、全43巻が刊行された同じ表…

映画「いのちの停車場」

住んでいる施設の映画会で2021年公開の日本映画「いのちの停車場」を鑑賞した。 主演が吉永小百合さん、東京で救急救命医のリーダーとして働いているなか医療事件の責任をとり故郷の金沢に帰る。そこで畑違いの地域の訪問・看取り医療と出合い「まほろば…

厚狭毛利家代官所日記㉛文久3年(1863)番外編・光明寺党

厚狭毛利家第9代毛利能登(元美・もとよし)が長州藩の攘夷(じょうい)・異国船打ち払い責任者・赤間関(下関)海防総奉行として藩士を率いて着任した文久3年4月と同時期、松下村塾門下で高杉晋作と双璧といわれた久坂玄瑞(くさかげんずい)がいわゆる尊皇攘夷…

「日本人として知っておきたい琉球・沖縄史」

原口 泉著「日本人として知っておきたい琉球・沖縄史」PHP新書 を読み終えた。 用事で駅前へ出た折、帰りのバスの待ち時間が小1時間生じてしまい、さてどうしようか? こういう場合私の行動パターンは大体2つに集約される。 ①近くの喫茶店でコーヒーを、 ②…

海を見て感じること

今まで住民票を置いた土地を振り返ると、山口県のふるさと厚狭、大阪八尾、タイバンコク、中国上海、それから現在の神戸となるが、神戸以外はそれぞれ海に近くはあっても海が直接見える事はなく海の見える暮らしは初めての経験になる。住んでいる場所から正…

厚狭毛利家代官所日記㉚文久3年(1863)②身分制度の壁

幕末文久3年の長州藩と云えば、6月に高杉晋作が百姓町人も入れた奇兵隊を結成した年であり、如何にも身分制度が崩れかけているようにも見えるが、実際には激動の中でも厳然と身分制度が存在していた事を示す事例が、厚狭毛利家領内の民政記録・代官所日記…

私の新聞読み

引っ越しで神戸に来た際に兵庫県に住む同級生から「新聞は神戸新聞?」という問い合わせがあり、神戸新聞がこの地域で根付いているのがよく分かった。今住んでいる施設にはライブラリーと呼ばれる図書エリアがありそこには地元の神戸新聞を始め、朝日、読売…

映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」

民放で放映された1997年のアメリカ映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を録画再生してようやく観終えた。 ブラッド・ピットが主演したこの映画は間違いなく2度目の鑑賞なのだが以前劇場で観たのかTVなのかはっきりしない。登山家の主人公、ダライ…

厚狭毛利家代官所日記㉙文久3年(1863)①

長州藩や厚狭毛利家にとって文久3年は幕末から維新へと続く激動の時代の幕開けともいう年に当たる。3月、14代将軍・徳川家茂(いえもち)は入京して孝明天皇に会い攘夷(じょうい・外国船打ち払い)の勅(ちょく)を受けた。 その後幕府は現実問題としての諸外…

長府人・乃木希典③厚狭に残る父親のエピソード

乃木将軍の父親・乃木希次(まれつぐ)は長府藩の藩医であったが弓の達者などを見込まれ、武臣である馬廻り役に取り立てられた。 その後紆余曲折を経て藩主一門の礼法指南役や藩校講師などを勤める。私のふるさと厚狭は、その大部分が萩毛利藩家臣としての厚狭…

長府人・乃木希典②

雑誌「文藝春秋」では昨今の世評に応え皇室に関する色々なことが記事になっているが、今年の2月号では「天皇を鍛えた男たち」という題で元宮内庁書陵部の職員・米田雄介氏が天皇となる方へのいわゆる「帝王教育」の歴史などを書かれている。その中に乃木将…

長府(ちょうふ)人・乃木希典(のぎまれすけ)①

日露戦争の旅順要塞攻略戦を指揮した乃木将軍は唱歌「出師営(すいしえい)の会見」に唄われたり、明治天皇が崩御された折りに殉死したことなどで知られた明治人である。明治陸軍に君臨した山県有朋などとの繋がりで長州閥の一員に数えられるが長州藩の出身で…

映画「ひまわり」

住んでいる施設での映画会で1970年に日本で初公開されたイタリア映画「ひまわり」を初めて見ることになった。何かの映画を視た際に予告編として出てきた微かな記憶があり、あの一度見たら忘れそうにないソフィア・ローレンの顔と一面ひまわり畑の印象が…

朝ドラ「ちむどんどん」の歌

現在進行中のNHK朝ドラ「ちむどんどん」は沖縄出身女性の奮闘記で全体に明るいところが気に入っている。黒島結菜さんが演じる主人公暢子の妹、上白石萌歌さん演じる歌子が名前のとおり音楽や歌が好きな設定で、唄うシーンが随所に出てくる。今までのシーンで…

岩波書店のあれこれ

岩波書店の名前は私たちの若い時代にひかり輝いていた。 数ある出版社の中で大衆化路線とも云うべき講談社や小学舘、集英社などとは対極にあり、その本は日本の文化事業を牽引するような自負を感じたものである。「岩波講座・世界歴史」といった各種の講座シ…

陸奥宗光と青木周蔵

NHKBSの歴史番組「英雄たちの選択」で今回録画して視たのは「不平等条約を改正せよ!陸奥宗光の外交戦略」と題したもので、明治新政府の宿願であった、幕末に結ばれた英米など列強との不平等条約の改正を成し遂げた外務大臣・陸奥宗光の物語である。陸奥宗光…

河内から兵庫へ、楠木正成のことなど

長く住んだ大阪の河内・八尾から兵庫県神戸市西部(旧播磨国・はりまのくに)に移り住むことになった。 大阪府は旧国名で云うといわゆる摂河泉(せっかせん)三国の摂津、河内、和泉になるが特に河内国一帯の古くからの拠り所としては「河内音頭」と「楠公(なん…