陸奥宗光と青木周蔵

NHKBSの歴史番組「英雄たちの選択」で今回録画して視たのは「不平等条約を改正せよ!陸奥宗光の外交戦略」と題したもので、明治新政府の宿願であった、幕末に結ばれた英米など列強との不平等条約の改正を成し遂げた外務大臣陸奥宗光の物語である。

陸奥宗光紀州(和歌山県)出身で幕末に坂本龍馬と行動を共にしたことで知られ、交友のあった伊藤博文が第二次内閣を組閣した際の外務大臣に抜擢し英国を手始めに難事といわれた条約改正を成し遂げた。

よく知られるように不平等条約とは
領事裁判権(自国内居留地で起きた外国人の犯罪を裁けない)
関税自主権(輸入関税を自国で決められない)
最恵国待遇(ひとつの国と結んだ有利な条件は他国にも自動的に適用される)
などが盛り込まれ文明国先進国として認められていないことを意味している。

国内の排外主義強硬論や列強の思惑をかいくぐり、対等条約に至ったその力量は見事という他なく功績は世に知られているが、この不平等条約改正に貢献したもう一人、私のふるさとの先人がいたことを是非ともここに紹介しておきたい。

山口県厚狭郡山陽町(現在山陽小野田市)出身の外務大臣青木周蔵は2019年5月1日のこのブログ「青木周蔵を知っていますか」でその一部を紹介したことがある。

青木周蔵陸奥宗光に先立って条約改正の基本方針を策定し取り組みを進めたが明治24年(1891)5月訪日中のロシア皇太子を警備の警官が襲撃したいわゆる「大津事件」の責任をとって大臣を辞職した。

その後明治27年、これまでの条約改正交渉を知る立場として駐英公使として赴任、陸奥外相のもとで対英条約改正交渉の実務を担い成功に導いた。

青木周蔵は長州の地下医(じげい・町医者)の子として生まれ、維新の風雲の中、その才を長州閥木戸孝允(桂小五郎)、井上馨山県有朋などに見込まれドイツに留学、明治日本のドイツ通第一人者とも云われドイツ人を伴侶とした。

🔘テレビを視ながらついついふるさとの大先輩へ肩入れしたくなりもっと知って欲しいとブログに書くつもりになった。
🔘公園で育てられている花