山口県名産焼き抜き蒲鉾(かまぼこ)

私の初めての本は、山口県厚狭周辺の歴史などを主に書いているので、友人を通じて山口県在住の従兄弟さんに送って貰ったところ、丁寧な感想と併せ、山口県名産のかまぼこを贈って頂いて恐縮してしまった。

山口県のかまぼこはいわゆる「焼き抜きかまぼこ」が基本で、全体が焦げのない白色が特徴、半世紀前に大阪で初めて食べたかまぼこの表面に焼き焦げが付いていたのをみて、少し違和感があったのを覚えている。

私の子供の頃は日本海側の城下町・萩や童謡詩人・金子みすゞゆかりの仙崎が産地だと聞いていたが、今は私のふるさと厚狭の隣町である瀬戸内海側の宇部も有名のようで、頂いたものも宇部産であった。

焼き抜きかまぼこは主にエソという白身魚を擂り潰して板に盛り、それを板の下からゆっくり加熱することで焦げのないかまぼこに仕上がるそうで、子供の頃から親しんだ弾力と歯応えのある食感になる。
今までいろいろかまぼこを食べて来たが、山口県のかまぼこの食感はどうも特別な気がする。

このかまぼこは江戸時代毛利家の治世には既にあったらしく、長州藩の外交上の進物としても用いられた記録が残る。

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早速下宿中の孫も含め3人で、板かまぼこと麦わら(プラスチックストローではない本物の麦わら)を使った、す巻き(これは蒸しかまぼこ)の2種類を生で頂いた。
まさしく懐かしい弾力のある食感と味で、孫にも熱を込めて「焼き抜き製法」の特徴を説明しておいた。
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これらの原材料の記載を見ると、日本産エソ、米国産スケソウタラ(鱈)、アルゼンチン産ミナミタラ、と書かれておりここまで国際化が来たのかと今更ながら感じるところがあり日本の食糧自給率の低さが心配になってくる。

財政赤字と経済危機

私は経済の専門家ではないので、表題について現在の状況を理論的に説明することは出来ないが、少なくとも客観的に一市民の立場で見ることは出来るのではないかと思っている。

日本の2021年度の基礎的な財政収支(プライマリーバランス・PB)はコロナウイルスの感染対応等による歳出拡大で
マイナス40.1兆円に達する見込みとマスコミが報道している。

21年度予算は106.6兆円、新規国債発行額は43.6兆円
財政赤字とほぼ符合する。
(また2020年度の歳出は補正を含めて175兆円、国債発行額は通常の3倍112兆円に達する見込み)

IMF(国際通貨基金)がまとめた20年までの日本の債務残高はGDP比で266%と試算されておりG7各国のなかで突出しており米国の倍の比率になる。

政府はPBを2029年度に黒字にすると公表しているが実際に今の状況をみるに付けこれが可能と考える人は少ないのではないか。

そんな中今週、日本経済新聞に興味がある記事が2つ掲載されている。

一つ目は「エコノミスト360°視点 合理的バブルが終わるとき」と題してBNPパリバ証券の中空麻奈さんが、

現在の状況を世界の中央銀行による金融緩和で生じた合理的バブルと呼び、この資産価格と実体経済がかけ離れた状況は、合理的には制御できない実体経済が、何らかのトリガーによってはじけるだろうと警鐘を鳴らしている。

二つ目はマーケット記事の「大機小機」コラムで与次郎という
ペンネームの方が、

現代貨幣理論(MMT)は財政悪化の中で物価が上がり始めたら財政を引き締めればよいというが、財政破綻に伴うインフレ、金利の急騰は一気に来る。
日本の場合そうしたきっかけの有力候補は近いうちに予測されている、首都直下や南海トラフといった巨大地震ではないか、
それでも財政破綻しないためには国債のGNP比を下げておく事が必要と書いている。

何れも平時には何とか回っている今の金融、経済システムが、不意のきっかけで混乱しうる、危うい状況に日本の経済・財政があることを指摘されている。

今回のコロナ騒動の中で、財政の健全化は危機の時にこそ、その効果を発揮することの一端をメルケル首相のドイツは実例として示してくれた。

嫌なことや厳しいことには眼を背けたくなるのが人情だが、もう既に、背けていてはいけないような状況に差し掛かかりつつあるように思えてならない。

負債を子供や孫に残してはいけないのは個人も国も同じことではないかと思うのだが。

◎この厳しい冬の雨にうたれながら、玉ねぎが根付いてきた。
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天下分け目・関ヶ原合戦の毛利家②

1月21日のこの日記に続く2回目
以下の内容は、朝日カルチャーセンターでの笠谷講師の講義、下関市立長府歴史博物館からの史料、光成準治著「関ヶ原前夜・西軍大名たちの戦い」やその他の史料を参考に自分なりに整理したものです。

慶長3年(1598)8月豊臣秀吉が死去、これを期に豊臣政権内で次期天下人を目指す徳川家康に連なる側と、これを阻もうとする豊臣政権奉行職等石田三成を軸にする反徳川勢力の対立が激化する。

慶長5年(1600)6月16日豊臣政権内大老筆頭の家康が会津・上杉家討伐に諸大名を引き連れ出陣した隙に石田三成大谷吉継を中心とする勢力(西軍)が挙兵、これを徳川氏や反石田三成勢力(東軍)が東国から引き返して対決する構図になった。

当時の毛利家は中国地方の大半を領有する大大名で豊臣政権内大老の一人で西国を任される立場にあった。
この毛利家に西軍側が強力に働きかけ、同年7月19日当主輝元はこれに応じ西軍の旗頭として大阪城に入った。

毛利家では、毛利の支えで両川(りょうせん)といわれた吉川元春小早川隆景は既に死去、朝鮮出兵に大軍を派遣した痛手に加え内部に、輝元の後継者問題から来る大きな課題を抱えていた。

当初、3代目輝元には子がなく、その為吉川氏や小早川氏の同意のもと毛利元就の4男元清の子秀元を養子にした。
秀元は輝元の後継者として豊臣秀吉に認められ官位も累進した。

その後輝元に嫡子(後の秀就)が誕生、秀元は身を引くことになり、秀元に所領を分けるいわゆる国割(くにわり)が必要になった。
この問題に当初は天下人・秀吉、後に大老筆頭・家康や豊臣政権奉行・石田三成増田長盛等が介入、秀元には最終的に長門国とその他を加えて与えられる事になりこの影響で家臣の知行にも変化が生じた。

この過程で輝元と秀元、更に元春の子・吉川広家、毛利家外交僧・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)を含む家臣団にも複雑な対立が残り、毛利家は大きな痛手を被った。

この国割問題や豊臣政権内での争いのなかで輝元は、叔父に当たる厚狭毛利家初代・元康に色々な相談などの書状を出しており、当時輝元は元康を重要な相談相手にしていた事が伺え、これらの書状は厚狭毛利家文書の一部として、私のふるさと厚狭図書館に残されている。

家中にこの様な課題を抱えつつ大阪城に入った毛利輝元は、この時期実質的な豊臣政権最高指導者の立場にあり、西軍旗頭として各地の東軍への対応を進めると共に、西国各地にも毛利軍を派遣し毛利家の私益追求、領土拡大を図っていく。

◎厳しい寒さのなか道端で花を必死に咲かせる野草がある。
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旧職場の同僚とコロナ対応会合

昨日は定年まで勤めた会社の元同僚との定期会合。
年数回アルコールも少し入る居酒屋での会食となるのだが、今回は状況も考慮して、近くのコメダ珈琲店に来て貰い2人での午後のコーヒータイム。
さすがにお客さんの姿は少ない。

大きな目的のひとつは私の完成した本を渡すこと、時折このブログも観て貰っているようなので話しは早い。

旧知の方、何人かの訃報を聞いたが、同世代でも病気で倒れる方が結構居られることを聞いて、お互いに複雑な心境になった。
このような情報に接すると否応なく身の回りの整理が必要であることを痛感する。

ただ、同世代でも元気な人も沢山いて前向きに気持ちを維持することが重要と確認した。
定期的にボーリング競技を楽しんでいるとの事で、私のゴルフもそうなのだが、身体を動かすことの大切さを今更ながら感じる時間だった。

旧職場の状況もいろいろと聞こえてくるがまあ、我々が気にしてもしょうがない。ただ、私は現役時代に海外拠点に赴任した先の現場と、現地人メンバーの現在の姿をもう一度視ておきたい気がすることを話した。
その機会がめぐってくることを願っている。

次に会うときはコロナを気にせず、いつもの居酒屋での情報交換会にしたいものです。

「朋(とも) 有り 遠方より来る、亦(また)楽しからずや」
と同じ心境だろうか?

◎歩きの途中、民家で見たこれは、河童(カッパ)か蛙(カエル)のどちらでしょうか?
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天下分け目・関ヶ原合戦の毛利家①

歴史のなかには、わからないことを紐解いていく、面白さや楽しみがある。
私のふるさとを江戸時代に治めた毛利家が、関ヶ原合戦でなぜ、一発の鉄砲も撃つことなく敗けたのか、長い間抱えている私の疑問である。

関ヶ原合戦は言う迄もなく徳川・江戸時代の到来を決定付けたもので、従来から中世史、戦国史武家社会などの数多い専門家や小説家が解析に取り組んで来られ、また継続中である。

先日、NHKTVでこの関ヶ原合戦を対象に「決戦関ヶ原~空からスクープ謎の巨大山城」と題して、先端技術の航空レーザー測量を用いて関ヶ原周辺の地形を計測、それを地元岐阜県が作成した地形図と合わせて赤色立体地図にして、山の中の樹木下に埋まる実際の地形を見えるようにし、そこから合戦の実際に迫るという番組が放送された。

その内容の骨子は
・古戦場から西へ2kmのところに、長手256mという巨大本丸空間を擁する城の痕跡があり、位置的に見ると西軍が築いた陣城(じんじろ)と考えられ、戦場や濃尾平野迄一望する戦略拠点になり得る。

イエズス会宣教師の本国宛の関ヶ原直前の報告書に、「毛利勢12000が戦いの城塞を準備している」と書かれている。

・実地調査では戦国期の防御様式が随所に見られ、規模からみて一大名が陣を敷く規模でなく天下人クラス、豊臣秀頼か西軍旗頭・毛利輝元の出馬を想定させる。

・この付近には西軍側の陣城が他に数ヶ所あり、西軍が東軍を包み込む、必勝の東軍迎撃プランを持っていたと考えられる。

・西軍の最大の拠り所は、豊臣秀頼の出馬であり秀頼が来ると東軍諸将は戦意喪失する筈だったが、再三の催促でもその馬印さえも来なかった。また毛利輝元大阪城を動かなかった。

・西軍側の前線重要拠点であった岐阜城が東軍側に落ちたことで西軍側武将に動揺が始まりこれが戦局の転換点になった。

・更に東軍・黒田長政の工作や高台院(ねね)とのきずな等から裏切りを決意した小早川秀秋が西軍拠点松尾山に入る。この頃小早川の動きは布陣の仕方から裏切りが明白でこの為西軍・大谷吉継らはこの対応で陣変えを余儀なくされ、西軍の他の拠点でも裏切りの動きが始まった。

・西軍側毛利勢は関ヶ原の入り口・南宮山の麓(従来の山頂説でなく)に陣を敷いたが東軍主力や徳川勢が前を通過するのを多勢に無勢で見送ってしまった。

・東軍の突撃で開戦、直ぐに裏切りが始まり(激戦後の裏切りでなく)なす術もなく西軍は敗北、毛利勢も引き上げを始める。

以上が新しく発見された城跡をベースに、西軍の戦略視点に立った番組の関ヶ原ストーリーだったが、毛利家に絞ったところの不戦の理由が多少の参考にはなったものの、不充分であり次回にこの番組も含み、色々な史料からみた私なりの整理をしてみたい。

◎朝の歩き、寒さのなかでガンバる、これはなんの花?
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南風・はえ

我が家に誰もいない時を見計らい、YouTube三沢あけみさんが奄美大島を歌う昭和歌謡・「島のブルース」をカラオケ練習している。
この状況ではいくら練習してもカラオケには行けないのだが。

奄美地方の方言も混じった響きがとても良く、作曲は渡久地政信さん、私の好きな津村謙さんが歌う「上海帰りのリル」も手掛けられた。
作詞は吉川静夫さん、こちらも私の好きな三浦洸一さんが歌う「落ち葉しぐれ」も作詞されており、私が「島のブルース」を好きになる条件が揃っているような気がする。

歌の2番では
「♪♪♪愛人(かな)は今ごろ、起きてか寝てか 淋しがらせる浜千鳥ヨ 南風(はえ)のふく夜は ねむられぬ ねむられぬヨ♪♪♪」
と歌われ、南風が吹く季節に海に出ている恋人を心配して眠りつけない様子を歌っている。

この「はえ」という南からの夏の風を表す言葉は、奄美地方だけの言葉でなく、古い記憶をたどると私の育った山口県の農村でも稲作を心配する言葉として聞いたような微かな記憶がある。
辞書をひもとくと西日本では広くまた古くから使われていた言葉らしく、俳句の季語にもなっている。

南からの風は穏やかなときは良いが、大きな荒れの前兆の場合があり、時として田畑や海の安全に災いをもたらす。

私のふるさとの隣町・下関市には南風泊(はえどまり)漁港、南風泊市場があり日本一のフグ取り扱い量が有名になっている。
この場所の名前、南風泊(はえどまり)は江戸時代以前、北国と大阪や江戸を結んだ日本海航路・北前船が強い南風を避けるための風待ち港として利用したことが由来と伝わる。

それはそうとして早くカラオケで「島のブルース」を歌える状況が来てほしいものです。

◎朝の八尾空港管制塔、手前は隣接する陸上自衛隊八尾駐屯地の訓練場、朝から若手隊員がランニング中、多分恒例の部隊毎に競争する耐久走があると思われる。
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住宅設備のトラブルに思うこと

正月を挟んで、最近立て続けに住まいに関連した物品、設備の故障に見舞われた。
普段、小さなトラブルは自分で対応するのだが、結果的に今回は何れもプロの力を借りることになってしまった。

①最初は台所の蛇口、コックがガタツキ、出水、止水がままならなくなり、先入観でこれは蛇口交換が必要と判断、どうしようか迷っていたところ、普段我が家の駐車場を利用して貰っているガス代理店の方が通りかかり、相談したところ暫くして担当者と共に来宅、直ぐにコックのネジの緩みと判明し修理完了。先入観による素人判断を反省した。

②次が、風呂場の天井蛍光灯の球切れ、これは原因がハッキリしているので踏み台を用意してカバーを外しにかかったが、緩まない。風呂場なのでどうも防水のシールが咬み込んでいるなと検討をつけて渾身の力を入れたものの緩まずむしろ、器具の土台が動きそうになるし、踏み台からずり落ちそうになった。

諦めて思案の上、以前駐車場の夜間照明でお世話になった電気設備屋さんに連絡、翌朝に来て貰い若いパワーで取り外し、交換して貰った。やはり防水シールが劣化して咬み込んでいた。

③最後が玄関の鍵の動作不良、少し前から動作が堅いなと思っていたが遂に数日前、鍵での動作が出来なくなった。

先ず金属潤滑剤を使用してみたところ一時的に回復したが翌日に再び動作不良、そこで内側から取り付けネジを外して修正を試みるも鍵内部自体の動作が重く自力修理を断念、思案の上、以前家屋の解体工事を依頼した旧知の業者さんに事情を話すと、直に担当者を連れて来宅、私が取り外した鍵内部の位置を再調整して組み直してみたところスムースな動作が回復し修理完了。

立て続けの故障修理で、今更ながらその道のプロの技は大したものだと本当に感心した。殆んど一発で治ってしまうが、私の経験からしても海外では中々こうは行かない。
私たちの暮らしを支える日本の職人さんの底力を感じる。

この三件何れも業者さんと過去にご縁があって、直ぐに対応して貰い、大変ありがたいことだが、多分高齢者でこの様な身近なトラブルに悩まされ、途方にくれる方が世間には多いに違いない。

最近便利屋のような職業が増えて来ていることを聞くが、職人技と迅速対応が組合わされ、高齢化社会に信頼(これが大事、高齢者は知らない人を家に入れたがらない。)されると、新たなビジネスチャンスが拡がるかもしれない。

また業者さんと日頃から良い繋がりを保つことも自己防衛上大切な事と再認識した。

◎朝の歩きの途中、陸上自衛隊八尾駐屯地の待機車両群越しに見える二上山(にじょうざん・ふたかみやま)、名前と見た目の姿がこれ程一致する山も珍しい。頂上が2つあるため実際に登ってみると一度登って少し降りてまた登るため余計な疲れが出てしまう。
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