林屋辰三郎著『内乱のなかの貴族/南北朝と「園太曆」の世界』吉川弘文館刊を読み終えた。
著者は平成10年(1998)に死去されているが昭和の時代を代表する日本史の大家で、私も若い時分から色々な書籍でお世話になった記憶がある。
この本は吉川弘文館が過去発行され現在絶版となっている歴史学の名著を厳選再発行する「読みなおす日本史」シリーズのなかの一冊であり、昭和50年(1975)に角川書店より初刊行、更に平成3年(1991)角川選書として再刊されたものの復刊である。
「太平記」などで知られる南北朝の内乱の時代を、著者は以下のように位置付けている。
「大きく言えば日本の歴史を二分し、古代と近世の境目となる変革期であり、この内乱を克服することによって、新しい時代が到来した」
この変革の動きに対し抵抗するのが、荘園という土地を頼りに一所懸命の生活をおくる貴族階級であり、社会の動きとそれに逆行する人々に著者が関心を抱き焦点をあてたのが本書である。
これを具体的に進める対象としたのが洞院公賢(とういんきんかた)という人物であり、彼が遺した「園太曆」と名付けた当時の日記である。この日記を軸にこの時代を読み解くことになる。
洞院公賢(1291~1360)は最高位・太政大臣(だじょうだいじん)を勤め、北朝に仕えながら南朝からも信頼され、武家一辺倒の時代に公家貴族を代表して政治的にも活躍した。
また公家文化の根拠である典礼の学識をもって尊敬を勝ち得、日記は長くその面の典拠とされた。
この本の中身、戦乱の実相や南北朝政治などを語るには字数が足らないが、ここでは私の勝手な選択で二つのことに触れておきたい。
①日本史の画期のひとつが律令制の制定であり、この基本は官僚社会秩序である。中国では官人登用のために科挙(かきょ)制を設け才幹主義を徹底した。これに対し日本の官人機構は門閥主義であり上級は天皇家の縁戚や藤原氏、下級は旧氏族に独占されていた。
上級官人である貴族は公事(くじ)と云われる吏務が付随し、これに精通することが求められ、不足の場合は指弾された。彼らが先人の日記を書写し、類別し自らも丹念に日記を筆録したのはこの公事に遺憾なきを図るためである。
②この本の巻末に洞院公賢の年譜が付されている。洞院家は鎌倉幕府と縁戚の西園寺家の流れで時流にも乗った上級官人貴族と云えるが、正直驚いたのが公賢の位階が2歳にして従五位上、6歳にして正五位下、8歳で従四位下に叙されていることである。
公家と武家では多少受け止めが異なるし時代も違うが、例えば江戸時代、国持ち大名という格式の萩藩主毛利家は藩主初任の時点で従四位下、昇任時の極官は従四位上である。
8歳の貴族の子が国持ち大名と位階が同格ということになる。私見だがこれでは貴族社会が終りを迎え、本当の実力社会である武士の世になって行くのは当然の成り行きとも思える。
◉今日の一句
出棺を見送るとんぼホバリング
◉施設の庭、コキアとニチニチソウ



『内乱のなかの貴族』








































