ユニクロ40年

日経新聞のビジネス記事に「ユニクロ40年止まらぬ進化」という見出しで今月、誕生から40年を迎えた(株)ファーストリテイリングが運営する「ユニクロ」の興味ある記事が載っている。

ユニクロは周知のようにUNIQUE CLOTHING WAREHOUSE(ユニーク・独自な衣服の倉庫)からとられた名称で、私が今から30数年前に初めて奈良・学園前で出会ったユニクロはまさしく斬新な倉庫をイメージした今まで見たことがない店舗だった。

ユニクロの創業者・柳井正氏がスタートした実家の紳士服店は私の生まれた街・厚狭の東隣・山口県宇部市にあり、そこを原点に「カジュアルウエアの倉庫」をコンセプトに1984年6月ユニクロ1号店を広島にオープンした。

以降数字から読み解く軌跡と、小売業今後の課題などを記事を元に私の興味本意で整理すると、

・当初は他社から買い集めた服を所狭しと並べたがわずか2年でこれを自己否定、自社で服をデザインして生産委託するSPA (製造小売)と呼ばれる現在の方法へ舵を切る。

・徐々に東へと店舗網を拡げて行くが、東京都心に進出出来たのは1998年、その3年後から英国、中国、米国とたて続けに海外進出を果たし、日本一を中間目標に、世界一というゴールに向かう工程表を作った。

ユニクロは規模が3倍になるごとに10年がかりでの戦略転換を図ってきた。

2003年売上高約3000億円だったが、海外の成功が寄与してそれから10年で初めて1兆円を突破した。

更に10年経った現在、売上高は3兆円を超えようとしている。

これから次の目標である10兆円を達成するための仕掛けは「情報小売業」と呼ぶ新たなビジネスモデルへの進化で、異業種(ITなど)の力を借りて需要予測の精度高めたりデータと店舗の更なる融合を図る。

・次の10年を占う上で欠かせないのがポスト柳井体制でキーワードになるのが「チーム経営」である。

🔘日本の失われた30年、少子高齢化、コロナ禍等々数え上げたらキリが無い逆風のなかで、日本の得意とする製造業ではない、小売業をベースにした日本の企業が、世界のアパレルへ飛躍出来たことは本当に驚くべきことだろうと思われる。

世界で戦うことの難しさは多少は知る立場にあり、これからの10年で3倍という目標は桁違いの困難さが予測されるが、日本の代表として希望の星で有り続けて欲しいと思っている。

🔘今日の一句

 

チェンマイの旅路迎へて釣忍 

 

🔘施設の周辺のネズミモチの木に花が咲き、ベランダからも見えるので坂道を降りて撮ってきた。

体の大きさから熊ん蜂と思われるが熱心に蜜を採りに来ている