明治の元勲の愛した味

明治新政府に出仕した長州出身者で木戸孝允大村益次郎広沢真臣などが亡くなった後、長州閥を牽引したのは、伊藤博文井上馨山県有朋であったことは衆目の一致するところであり何れも明治天皇から元老として遇された。

(元老は天皇の諮問に応じて総理大臣の推薦や重要国策の決定に参画し明治国家運営の最高指導者の役割を担った)

山口県在住の同級生から送って頂いた郷土史関係の新聞切り抜きの中に、この3人に関係した面白い記事が載っている。その内容は、

「幕末維新グルメ」を味わうとして、下関川棚温泉のホテルで市立歴史博物館の学芸員を勤めていた現観光政策課職員・田中洋一氏が企画監修したイベントが開かれたというニュースである。

余談ながら新聞記事を見て直ぐ思い浮かんだのだが、この田中洋一氏には市立歴史博物館時代に長府藩々祖・毛利秀元についての画期的な著作「毛利秀元拾遺譚(もうりひでもとしゅういたん)ー元就の再来ー」があり豊臣時代から徳川時代初期にかけての毛利家の動向に関して随分参考にさせて貰った。

そのイベントは当時の史料をひもとき、3人各々が好んだ材料献立を含めて提供するものとのことであり、主催者は「食という身近なテーマを通じて堅いイメージのある歴史をより深く知るきっかけにしてほしい」と語っている。

井上馨は自ら厨房で腕をふるって客をもてなすこともあった。その一例が独特の食前酒「甘酒とらっきょう酢カクテル」、さらに大正天皇伊藤博文が好んだといわれる「井上式沢庵」沢庵にも一家言あったらしい。

伊藤博文が好物だったのが「タケノコ、フキと鶏の山椒煮」、記録には自ら小鍋「豆腐のヂワヂワ煮」を仕立てて晩酌を楽しんだとあるらしい。

山県有朋は萩名物の「チシャ菜の酢の物」など淡白なものを好んだ。

🔘元勲の好んだという献立が意外に素朴であることに大いに納得するものがある。またチシャ菜は山口県では普段からよく食べる野菜で、私も酢味噌味のものが想い出の中にある。

豆腐のヂワヂワ煮というのがどんな鍋になるのか知らないが、山口県には豆腐と根野菜を煮た素朴な郷土料理「けんちょう」がある。

🔘今日の一句

 

夏の潮紀淡と瀬戸のせめぎあい

 

🔘健康公園のスモモ(李)が熟れ始めている。今年は去年に比べて良い実りのような気がする。