司馬遼太郎・菜の花忌シンポジウム 街道をゆく

作家・司馬遼太郎さんは1996年2月12日に亡くなられ2月12日の命日は「菜の花忌」と名付けられている。これは作品の中に「菜の花の沖」があることや、司馬さんが菜の花を好んだことに由来する。

菜の花の沖」は私が住んでいる場所から対岸に見える淡路島出身の江戸時代の廻船商人・高田屋嘉兵衛が主人公の物語で、菜の花は現在も春の淡路島の観光の目玉のひとつである。

「菜の花忌」は私が俳句を始めて知ったのだが「俳句歳時記」にも載っている。

司馬遼太郎さんの居宅だった東大阪市にある司馬遼太郎記念館では毎年菜の花忌に合わせてシンポジウムが開催され、今年は東京で、司馬さんの紀行文学作品「街道をゆく」をテーマに「過去から未来へ」をサブタイトルにして開かれそれをNHKで放送したものである。

参加者は歴史学者磯田道史、作家・今村翔吾、エッセイスト・岸本葉子、司会は元アナウンサー・古屋和雄の各氏で「街道をゆく」が過去から現在、そして未来へどう読み継がれてゆくかが話された。

街道をゆく」は日本の各地、アジア、ヨーロッパ、アメリカを25年に渡り実際に歩いて書かれた全43巻の大作である。

ふるさとが書かれてある「長州路」、現在の住まいのある「神戸散歩」をはじめ、私もそのほとんどを読んだと思うが、その各々の土地が持つ文化や歴史の奥深さについて随分学ばさせてもらった気がしている。

出席者の発言内容でで記憶に残ったものは以下の通り

岸本葉子

街道をゆく」は足での散策と頭での散策の両方が見られ、その両方を行ったり来たりしているところにその魅力がある。

司馬さんと同じくポルトガルを旅した時、こういう民族性の人たちがどうして世界に出ていくのか疑問だったがヨーロッパの果ての岬に立つとこの先に何が有るのか知りたいと思うのは当然だろうと思えてきた。

磯田道史

街道をゆく」は大きく4つに分類して考えていてそれぞれに魅力が凝縮されている。「海外」「古い核」「エスニシティ(民族性)の境目(オホーツク、沖縄など)」「日本を変える変革の境目(薩長土肥など)」

文明と文化の違いは、お城の天守に置かれた機能性に象徴される消火器と、口から水を吐き火を消す力があると信じられていたシャチホコに象徴される。

今村翔吾氏

小説家としては「街道をゆく」からは司馬さんが書いた小説との繋がり、リンクを感じる。現地に行ってその土地の風を感じて、それを小説に取り入れることで小説は仏像に目を入れると同じく完成する。

🔘会場は満席であり、没後30年近く経っても司馬遼太郎さんの「司馬史観」への注目度は、私を含めて衰えていないようである。

🔘今日の一句

 

胴吹きを一輪残し花の雨

 

🔘施設の庭、シロヤマブキ(白山吹)