「播磨灘物語」

私が引っ越してきた神戸市垂水区旧国名で云うと播磨国(はりまのくに)の東の端に当たる。
旧い地図を見ると、となりの須磨より東が摂津国(せっつのくに)であり何とか播磨国にすべりこんだ気がしている。

播磨の西は千種川(ちぐさかわ)で岡山・備前国(びぜんのくに)と接しており赤穂(あこう)が西の端になる。いわゆる播州赤穂浪士・大石内蔵助という忠臣蔵の舞台である。

播磨と云えば真っ先に思い浮かぶのが司馬遼太郎さんの作品「播磨灘物語」でここに住むからには是非読み直してみなければと決めており、垂水図書館で探し単行本は見つからなかったものの全集に載っているのを借りだしてきた。

云うまでもなくこの主人公は戦国時代末期~安土桃山時代にかけて活躍した武将・黒田官兵衛であり、黒田一族と播磨国の物語である。

黒田家の元は近江国(おうみのくに・滋賀県)黒田村とされそこから流れて当時第一等の都会であった備前福岡村で暮らすが備前の争乱のあおりで祖父重隆(しげたか)の代に播州姫路に土着する。

余談ながら官兵衛の子・黒田長政は後日関ヶ原合戦の功で家康から九州筑前国で大封52万石を与えられたが、その城下の名前を福岡と名付けており黒田一族にとってはよほど懐かしい土地だったのかも知れない。

父・職隆(もとたか)は早くに隠居して官兵衛が家督を継ぎそこから信長、秀吉、家康などを交えた縦横の活躍が始まるのだが、とにかくこの「播磨灘物語」の前半は播磨国周辺の歴史、文化の教科書と云っても良いような内容で、御着(ごちゃく)、揖保川(いぼがわ)、宍粟(しそう)、志方(しかた)、明石(あかし)、加古川(かこがわ)、飾磨(しかま)などの地名が出る度にスマホの地図を見て位置関係を知ることになる。

主題の官兵衛の生きざまは別にして、当初私が見込んだ通り播磨に住むに当たっての格好の手引き書となっている。

特に播磨国が中国地方と摂津国を含む近畿地方との中間に当たるという地政学的な点についての道しるべと言って良いかも知れず、また別所一族の気骨を見せた「三木の籠城戦」の描写は播州全域に住む人々の誇りにつながるものだろう。

播磨周辺に関しての司馬遼太郎さんの著作には「街道をゆく」シリーズに「明石海峡と淡路みち」「播州揖保川室津みち」「神戸散歩」がありこの機会に順次読み直して行こうと思い楽しみにしている。

🔘波の静かな時は毎朝7時頃まで、漁船が小さな群れのようにして淡路島の沖で操業している姿がベランダから見える。大抵8時頃になると漁を終えて姿が消える。

【夏の漁 淡路の沖に 十余艘】