引っ越して思ったこと、その①

大阪から神戸・垂水へ引っ越してようやく半年が過ぎた。隣接の自治体とはいえやはり歳を経ての住所変更は感じることが色々あり、思い付いた都度書いておきたい。

私の好きな歴史についても全くの思い違いがあった。

私の今まで住んだ大阪府はよく摂河泉(せっかせん)と呼ばれ旧律令制の国名、摂津(せっつ)、河内(かわち)、和泉(いずみ)の3国で構成されている。

また近畿のもとになった畿とは天子のおわす都、またはその地域を指し、日本の場合通常五畿内(ごきない)といわれ、先の三国に山城国(やましろのくに・京都府)と大和国(やまとのくに・奈良県)を加え五ヶ国を云う。

それで摂津国兵庫県を代表する播磨国(播磨国)の国境はてっきり現在の県境と同じで尼崎や伊丹辺りから播磨国だとずっと思っていた。

実際は神戸市の須磨辺りまで摂津国になり五畿内に含まれる。平清盛が開発した大輪田の泊や兵庫湊は畿内に入る訳で当然と云えば当然と言えるかもしれない。

では明治の改革で47都道府県に確定する際摂津が大阪府兵庫県に分割されたのはなぜか?

やはりこれは当時の日本一の商都大阪市域と開港地外国人居留地として大きな発展が予測される兵庫神戸地域を一緒にすると首都を超える余りに大きな県が出来上がり地方統制から見て好ましくないと判断したのではと推定している。

初代兵庫県知事が長州の伊藤博文であり、政府が兵庫、神戸の開港と外国人居留地の問題を重視していたことは明らかで、この辺りの縁からも今後機会有ればこの府県境の経緯を調べてみたいと思っている。

 

🔘雨が上がり、櫨(はぜ)の木の赤は一段と深みを増して今まで見たことがないような赤色になっている。

 

【朱(あか)や紅(あか) この深き赤                                                                                櫨紅葉(はぜもみじ)】

 

🔘介護棟の屋上第2弾 名前は教えて貰ったが、変わった形のサルビア・ホットリップス