「兵庫人国記」・山片蟠桃(やまがたばんとう)

黒部亨著「兵庫人国記」神戸新聞総合出版センター 刊を図書館から借り出し読んでいる。

著者は神戸市在住の作家で、近世以降の旧五ヶ国(但馬、丹波、摂津、播磨、淡路)の先賢の人物像をうかびあがらせ、「人物をとおして郷土の歴史を探る」ことがその目的だとあとがきに書かれている。

読み込んでいくなかに「独創を発揮した町人学者」として「山片蟠桃」が紹介されておりビックリしてしまった。
私は今までてっきり山片蟠桃は大阪人だと思っていたが、どうやら現在の兵庫県高砂市に当たる神爪(かづめ)村の出身らしい。

13歳で大阪堂島の山片家・升屋に丁稚奉公しており
私はこの事から当然出身は大阪だろうと先入観で考えていた。

升屋は大名貸しもする米商人で蟠桃の利発さに目を付け、その頃大阪商人が設立した学問所「懐徳堂(かいとくどう)」に入門させた。
ここで蟠桃は優秀な成績で実行実践の学問を身につける。

24歳で升屋の番頭に抜擢され、当主の死去に伴う相続問題や大名貸しの焦げ付き解消等を通じて主家の発展に貢献する。
その後学問の分野で本領を発揮、40年間学んだことや実践したこと、儒学蘭学天文学、財政経済学などを含み科学的合理主義の先駆となる著作「夢之代(ゆめのしろ)全十二巻」を著す。

本名は長谷川有躬(ありみ)だが58歳(1805)の時主家から永年の貢献を感謝され親類扱いで山片姓になる。
蟠桃は「番頭」をからとった号といわれる。

近年大阪府では日本文化の海外への紹介に貢献があった人に「山片蟠桃賞(大阪国際文化賞)」を贈って顕彰しているがこれは司馬遼太郎さんの提案が結実したものである。

司馬遼太郎さんには「山片蟠桃のこと」というエッセイがあり、私が山片蟠桃を初めて知ったのはこのエッセイに依る。
司馬さんは、合理主義者でありながら旧体制をも包含する実践家としての蟠桃の思想を暖かい眼差しで称賛している。

実業の場で実績をあげながら学問のような場でも成果を出す山片蟠桃のような生き方は、私には理想の生き方のように思えて憧れを抱く。

🔘施設の庭シリーズ あまりの形の良さに感心した。