播磨国(はりまのくに)の同窓会

昨日は中学校の同窓生で旧播磨国(兵庫県)に住む3人と隣国・摂津国(せっつのくに・大阪府)の1人の計4名で食事会があり兵庫県明石市まで出掛けてきた。

近くの加古川に永く暮らす同窓生が段取りをして

・駅近くの和食の店で昼食

明石城公園を散策

・カラオケ

魚の棚商店街を散策

のコースだったが私はシャトルバスの都合で商店街散策は切り上げさせてもらった。

遥か400km先の彼方にある故郷で子供時代を過ごした者が、時空を超えて集えているというのは縁の成せる業か考えてみれば不思議なことではある。

昼食時、散策時、カラオケと世間話を含め色々な話が出来た気がするが、これも故郷と学校を同じくするということがベースに有るからなのだろう。

今回個人的に見ると明石城公園を案内してもらいその城構えがを見ることが出来て少々感動している。

明石城徳川幕府二代将軍秀忠の時代に西国大名への備えとして譜代大名・小笠原氏に命じて築かせたもので費用人員などを幕府が肩入れした。

石垣の組み方をみても近世に築かれた城であることがよく分かる。

その後国替えなど頻繁に藩家が変わったが一貫して譜代大名が城主となり山陽道を扼する西国対策としての重要性は不変であった。

明治6年(1873)廃城令により廃城となったが今回訪れてみてその壮大さ重要性は充分に感じ取ることが出来た。

 

【子午線の街なる城や梅の花

 

【城跡に同期集いて春語る】

 

堀の一部

本丸跡への道

色々な角度から二つの櫓(やぐら)を望む

梅も見頃   

明石海峡大橋を望む

城跡を散策中

カラオケでは4人共に持ち歌それぞれを充分に歌った気がするが、どうしても時代を感じさせるのはやむを得ないことか、全員で歌ったのは唱歌・故郷(ふるさと)。