「真田信之/真田家を継いだ男の半生」①

黒田基樹著「真田信之/真田家を継いだ男の半生」角川選書を読み終えた。

先日このブログで生誕100年を迎えた作家・池波正太郎さんに触れた際に同級生からメールがあり真田では幸村よりも信幸(信之)の方が好きだとあった。

信濃国(しなののくに・長野県)を地盤にして戦国時代後期から安土桃山時代を駆け抜けた真田家では、甲斐国(山梨県)武田家に仕えた真田昌幸と次男で大阪の陣で真田丸に拠って活躍した信繁(幸村)が有名で、長男の信之(信幸)の方は一般的に知る人は少ない。

しかし歴史を知る人の中には、江戸時代を通じて真田の家名を残す基礎を築いた長男の信之を同級生のメールのように評価する人も少なからずいて、この本は云わばその玄人好みに応えたものかもしれない。

真田信之は当時としては破格の93歳まで生きたがこの本では副題に「男の半生」とある通り51歳迄の評伝でありその年元和2年(1616)信之は本拠を上野国(こうずけのくに)・沼田から父昌幸の居城であった信濃国・上田へ移している。その後信濃松代に転封になることを含む残り42年は対象になっていない。

著者は大河ドラマ真田丸」の時代考証を担当した日本中世史の専門家で、本の巻末に載せられた一次史料「真田氏発給文書」全280種などを読み解いてこの本を著しているのだが、後半生の残り42年は未だ確かな一次史料が少なく、本のあとがきで「今後の研究の進展を期待したい」と率直に述べている。

また著者ははしがきのなかでこの本の狙いを「戦争から平和の時代の転換のなかで、信之は如何にして真田家の存続を図っていったのか本書では、史料に基づきその姿を丹念に追いかけていこうと思う」と記している。

よく知られているように真田一族の当主・昌幸と長男・信之、次男信繁の運命を分けたのは関ヶ原合戦であり、父と次男は西軍、長男信之は東軍徳川家康の傘下に入り戦後父と次男は敗戦を受けて紀州九度山へ追放される。父の死後、次男信繁は大阪城に入り大阪の陣で奮戦、討死する。

これらの概略経過をふまえこの本で得られた新たな知見の幾つかは前置きが長くなったこともあり後日に書くことにしたい。

 

粕汁や母の実家の懐かしき】


🔘健康公園の楓(かえで)の実、機雷のような独特の形、種が飛んだ後に落下するので実には種が収まっていた幾つもの空洞が出来ている。

割ってみると中は種が飛んだ後の幾つもの空洞が