長府(ちょうふ)人・乃木希典(のぎまれすけ)①

日露戦争の旅順要塞攻略戦を指揮した乃木将軍は唱歌「出師営(すいしえい)の会見」に唄われたり、明治天皇崩御された折りに殉死したことなどで知られた明治人である。

明治陸軍に君臨した山県有朋などとの繋がりで長州閥の一員に数えられるが長州藩の出身ではなく萩毛利家の分家に当たる長府藩の出身である。
(余談ながら長府藩は一時期毛利輝元の後継者として豊臣秀吉から認められた毛利秀元が藩祖立藩した)

私のふるさと山口県厚狭の街から海沿いを下関に向かうと
左手に周防灘が現れ、満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)の二つの小島が浮かびその対岸右手が長府である。

(またまた余談ながらこの付近の海域で行われたのが源義経が平家を滅ぼした壇之浦の戦い)

長府の街は小さいが長府藩武家屋敷も美しく残っておりその一角に乃木将軍の旧宅や将軍を祀る乃木神社がある。

陸軍大将まで上り詰めたが軍事能力に関しては司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」で書いたように、旅順での人的損害の多さなどから否定的な意見がある一方、長州人の特徴の一つである詩才は多くの人に認められている。

日本の漢詩を集めた「漢詩のこころ 日本名作選」林田愼之介著 講談社現代新書 に乃木将軍の漢詩四首が載っている。

この中の一首、旅順攻略に向かう前、長男戦死の報を聞き戦死の激戦地を訪れ詠んだ有名な「金州城下の作」

山川草木 転た荒涼 (さんせんそうもく うたたこうりょう)
十里風 腥し (じゅうりのかぜ なまぐさし)
征馬前まず人語らず(せいばすすまず ひとかたらず)
金州城外斜陽に立つ(きんしゅうじょうがいしゃようにたつ)

「斜陽に立つ」との表現は小説の題など色々な事に引用されている。
(続きは次回で)

🔘図鑑を見ると色の鮮やかさからデロスペルマ・クーペリーのような気がするが自信があるわけではない。