長府人・乃木希典②

雑誌「文藝春秋」では昨今の世評に応え皇室に関する色々なことが記事になっているが、今年の2月号では「天皇を鍛えた男たち」という題で元宮内庁書陵部の職員・米田雄介氏が天皇となる方へのいわゆる「帝王教育」の歴史などを書かれている。

その中に乃木将軍が明治天皇の信任を得て学習院院長に就任、学習院初等科に進んだ昭和天皇を教えたエピソードが載っている。

昭和天皇は乃木の教えを受け、雨の日でも徒歩で通学し、鉛筆や消しゴムは持てなくなるまで使い、継ぎのあたった服を着た。

・冬には乃木から「今日のように寒い時や雪などが降って手のこごえる時などでも、運動すればあたたかくなりますが、殿下はいかがでございますか」と尋ねられ、「ええ運動します」と答えられた。

乃木将軍の教育者としての面目躍如といった感があるが、
乃木は文久4年(1864)16歳の折り長府を出て萩に出向き親戚に当たる玉木文之進の家に下宿してその教えを直に受けることになる。

長州で有名な玉木文之進吉田松陰の叔父に当たり、松陰の若き日に母親が嘆く程の徹底したスパルタ教育を施した。
有名な松下村塾玉木文之進が開き、吉田松陰が引き継いだものである。
いわば松陰と乃木は兄弟弟子とも云え、乃木の教育者としての資質がこの辺りで磨かれたと考えられる。

明治天皇崩御後大喪の日、乃木は夫人と共に自決するが、作家・司馬遼太郎はその作品「殉死」でその生き方を軍事上の不手際も含めて描いた。

(次回乃木将軍の父親と私のふるさととのエピソードを書く予定)
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【朝まだき ちいさき船は 群がりて 今日の漁を 競うが
如く】
ーー今朝ベランダから大阪湾を見ると漁船の群れがいて。


🔘懐かしい菜の花が植えられている。