蘇鉄(そてつ)あれこれ

毎朝歩く健康公園は数ヵ所に大きな蘇鉄がその存在感を見せている。



蘇鉄を見るとつい口ずさみたくなる歌がいくつかあるが、考えてみると当たり前でみな南の歌である。

三沢あけみさんが唄った「島のブルース」

♪︎♪︎奄美なちかしゃ 蘇鉄(そてつ)のかげで
泣けばゆれます サネン花ヨ
ながい黒髪 島むすめ 島むすめヨ♪︎♪︎

田端義夫さんの懐かしい「島育ち」

♪︎♪︎赤い蘇鉄の 実も熟れる頃
加那も年頃 加那も年頃
大島育ち♪︎♪︎

・春日八郎さんの「長崎の女(ひと)」

♪︎♪︎恋の涙か 蘇鉄の花が
風にこぼれる石畳
噂にすがり ただ一人
尋ねあぐんだ港町
ああ 長崎の 長崎の女♪︎♪︎

歳がわかるような懐メロばかりだがどれも唱いやすく、私のような音程が外れやすいものでもカラオケに馴染みやすい気がして唄ったことがある。


蘇鉄は字のとおり鉄分で蘇(よみがえ)る植物で、弱った時に鉄を打ち込むと蘇生するといわれる。
私の生家の畑にも小さな蘇鉄が育っていたが母親が鉄屑を根元に埋めていた記憶がある。

6月14日にもこのブログで触れた原口泉著「日本人として知っておきたい琉球・沖縄史」PHP新書には、沖縄に「蘇鉄地獄」と呼ばれる深刻な食料不足の歴史があったことが書かれている。

特にひどかったのが第一次世界大戦後の砂糖暴落に伴うもので、以下のような悲しい出来事の記憶が刻まれている。

・当時サトウキビ栽培が沖縄経済の要で、食料である米やイモの栽培面積が縮小していた。
・蘇鉄の実はデンプン質で出来ており、食料に窮した農民はこれを食べて飢えをしのいだが、実際には猛毒が含まれこの処理を誤り死亡する事故が相次いだ。
・この危機の打開策として海外移民が奨励された。

余談ながらブラジルへの沖縄移民は、北原ミレイさんが唄った歌謡曲「石狩挽歌」に出てくる「笠戸丸」(♪︎♪︎沖を通るは笠戸丸ー♪︎♪︎)に乗船して明治41年(1908)に始まっている。

🔘毎朝歩く健康公園は約2kmの周回路が整備されているがその外周には雑木林がそのまま残されている。
子供のころ村の奥にあった山と同じような自然そのままの林で、懐かしく嬉しい。

【それぞれの名前を呼べと樹が叱る 雑木林と覚えし我に】