「播磨百人伝(はりまひゃくにんでん)」

駅前に用事がありマイクロバスで出掛けたが、時間調整もあり先日借り出しカードを作った図書館に寄った。
引っ越した地域の歴史などがわかる本がないかと探して借りたのが、寺林 峻 著「播磨百人伝」神戸新聞総合出版センター刊である。

私の新住所・神戸市西部は旧国名で云うと播磨国(はりまのくに)いわゆる播州(ばんしゅう)の東部になる。播磨国畿内に近く律令制のなかでも大国の位置付けである。
播磨国風土記」はその写本が現在まで残っている5ヵ国の内の1つとして有名で、播磨の名前の由来が神功皇后(じんぐうこうごう)伝説にあることなどが書かれている。

この本の中には古代から現代に至るまでの間、播磨に足跡を遺した100人の短い伝記が書かれている。
私が以前から気になっている播磨の豪族・赤松氏も載せられておりこの事は後日書く予定だが、今回は図らずも遭遇した俳句2題を書いておきたい。

2句ともに昔から耳に馴染んでいたがこのふたつがいずれも播磨に縁があるとはこの本で初めて教えられた。

①【手にとるな やはり野におけ 蓮華草(れんげそう)】

私は「手にとるな」のところは知らずに、「やはり野におけ 蓮華草」の部分だけ覚えて田んぼにレンゲが咲くとよくこの言葉を頭のなかで繰り返したものだが、てっきり適材適所をモチーフにした格言だと思っていた。

江戸時代、加古川に船問屋の跡取りとして生まれ家産を傾けた俳人・滝瓢水(たきひょうすい)という人の作品とのことで、もとは遊女を落籍(ひか)せる人をたしなめる句だと聞いて驚きと妙に納得するところがある。

②【雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡】

これもとてもポピュラーなフレーズで、子供の頃から記憶にあるが作者などは全く知らなかった。

江戸時代丹波の代官職の長女に生まれ俳句を学び、後出家して播州網干(あぼし)に草庵を構えた、田 捨女(でん すてじょ)という人の作品とのことである。

驚くのはこの句を作ったのが6歳のときで当時から才女の誕生として騒がれたらしい。

何れにせよ新しい土地に住むと新しい知識に自ずと出合えるものだとよくわかって少し嬉しい気分になる。

🔘健康公園樹木シリーズ プラタナス、 数本の巨木が鉄柱の支えでカゼニモマケズ 仲間と共に立ち続けている。