八月の俳句会で世話人の方から「俳句」という月刊誌の2017年10月号に掲載されていた「司馬遼太郎と俳句」と題する、司馬遼太郎記念館館長の上村洋行さんと俳人・宇多喜代子さんの対談部分をわざわざ綴じ直して頂いた。
私がブログで時折司馬遼太郎さんのことを書くのでその縁で頂くことになったのだろうと解釈している。
東大阪市の司馬遼太郎記念館は司馬さんの旧宅敷地内にあり、仕事場などもそのまま記念館の中に取り込まれ、雑木林主体の庭もあり更に数万冊の蔵書が揃えられている様はまさに圧巻といえ、以前一度訪れた際には正直圧倒された。
上村さんは司馬さんの義弟にあたるが館長として司馬遼太郎さんの記念活動などで幅広く活動されている。
内容は「坂の上の雲」「龍馬がゆく」「峠」「新選組血風録」などの作品のことから藤井聡太棋士の愛読書が「龍馬がゆく」であること、文字や言語の大切さなど多岐にわたるが俳句に関連した箇所は、
・司馬さんも戦前、満州の戦車学校時代には俳句を作っていたことが語り伝えられている
・昭和52年(1977)文壇の俳句展に司馬さんが句を出されている。
風花に京(みやこ)さびたる格子かな
立春や嘉兵衛の里の古いらか
(嘉兵衛とは淡路島出身の海商・高田屋嘉兵衛で司馬さんは彼を主人公にして、長編小説「菜の花の沖」を書いた。また淡路瓦は昔から石州瓦(島根県)、三州瓦(愛知県)と並び日本の三大瓦産地でありこれが古いらかの背景になっているのではと想像している)
春や昔十五万石の城下かな
を出して松山を浮かび上がらせていく。また子規が死を目前にして詠んだ
鶏頭の十四五本もありぬべし
が最も子規らしい句と言われていた。
🔘司馬遼太郎さんが短歌や俳句に関心を持っていたことは当然のように思えるが、自作の俳句のことは初めて知って何となく親近感が湧いてくる。
私は 春や昔 の子規の句が大変好きな句で、以前一度だけ松山を訪れた際は伊予松山城を見上げ自然に口をついて出たことがある。
🔘一日一句
秋立つや節気を虫に学びたり
🔘施設のあちこちで咲くテッポウユリ(鉄砲百合)