正岡子規の写生文

最近になって施設の俳句サークルに入会し、朝歩いている時に感じたこと等が五、七、五に成らないか苦心している。
それだけに正岡子規には再び関心があり、

【柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

などは何度でもいいなあ!と思えてしまう。

【春や昔十五万石の城下哉(かな)】

これは子規のふるさと・伊予松山を吟ったものだが、このように簡潔に格調を持ってふるさとを表現出来たらなと、手本にしたい一句と思っている。

正岡子規を描いた小説には伊集院静さんが子規と夏目漱石の交遊を中心にした「ノボさん」「ミチクサ先生」や司馬遼太郎さんが明治の青春を描いた「坂の上の雲」などが思い浮かぶ。

正岡子規の本名は常規(つねのり)で俳号が子規である。
子規とはホトトギスのことで、自分が肺結核になり、鳴いて血を吐くといわれるほととぎすから採って号にしたといわれる。

結核から脊椎カリエスを発症、35歳で短い生涯を終える最後の数年間は寝たきりでありながら弟子を集め、俳句短歌の近代化を牽引した。

図書館で本棚を当たっていたときたまたま、夏目漱石ラフカディオ・ハーン正岡子規三人の小文集が目に止まり、子規の俳句、短歌以外の文章を是非とも読んでみようと借りて来た。

この本に載っている小文は「飯待つ間」「病(やまい)」「ラムプの影」「熊手と提灯」の四篇で何れも脊椎カリエスを発症して後に書かれたもので苦しい病状のなかでなお創作の意欲を失わない心が切々と伝わってくる。

特に「病」は、志願して日清戦争に従軍記者として大陸に渡り、帰国途中の船上で喀血して「病」を知る顛末が書かれているのだが、その微妙な心持ちが文章ににじみ出ているように思われる。

🔘鳶が空を舞うのは何故だろう?気がついた時に観察しているがはっきりとは分からない。
自分の巣を上空から見守っているような気もするのだが、
風が強くても負けずに舞う。

【台風に 負けじと鳶が 弧(ひと)り舞う】

【台風(かぜ)去りて 出船入り船 和泉灘(いずみなだ)】