「1台の荷車には1個だけ荷物を」

最近施設の俳句サークルに入れてもらい、素人の悲しさを味わいつつ少しでも多く詠んでみようと四苦八苦している。

入門書を読むと初心者が先ず守らなければいけないことは

・五・七・五

・季語を入れる

の二つであり、あとは作りながら習得すればいいように書かれている。

ここまで試行錯誤してきたなかで一番感じることは、とにかく「どう言葉を捨てるか」「どう言葉を短くするか」に尽きるような気がしている。

今まで生活してきた日本語の世界で、永年修得した文章作法をもとに自分が見聞したことや感じたことを17文字におさめようとすると、どうしても字数が余ってしまう。

余分な言葉を思い切って削り、捨てる、これが意外に難しい。これを削ると自分が感じていることが伝わらないのではとついつい躊躇してしまう。

若い頃からお世話になった作家・司馬遼太郎さんの全集を少しずつ読み直しているなかで、初めて出会う短いエッセイ「私の文章作法・一台の荷車には一個だけ荷物を」がありこの意味合いは俳句創りに大変役立つなと目が覚めた気がした。

以下その肝心な部分、

『センテンスは荷車のようなものです。一台の荷車には一個だけ荷物を積むようにしなさい。一個ずつ荷物を積んだ荷車を連ねてゆけばそれでいいわけで、欲張ってたくさんの荷物を一台の荷車に積んではいけません』

『一つのセンテンスに複数の意味を載せている文章がよくあるがああいうものは悪文だと思い定めるべきです』

🔘あとは何でもそうだと思うが数をこなして行くことでその世界に慣れて行くしかないのだろう。

 

【解けぬまま   ふるさと文書(もんじょ)   月に問う】

 

🔘公園の一角に咲いているのは葉っぱの形状からローズマリーのような気がする。