森鷗外「阿部一族」

7月17日のこの日記に森鷗外の作品集を書棚からさ捜し出して「舞姫」を読んだことを書いた。
その作品集が机の上に放ったらかしにしてあり折角なので仕舞う前にと思い代表作のひとつ「阿部一族」を読み始めた。

この作品はもう半世紀以上も前になる中学校の図書室で読んだ記憶があるのだが、今再び読んでいくとさすがに殆んどその内容を覚えていないことが分かって来た。

物語は戦国武士の気風が強く残っていた江戸時代寛永期3代将軍家光の治世下、肥後熊本細川家で起こった事件を述べた形のもので武士の気骨、作法などが忠実に描かれる。

一般に武士道と言えば主君に忠を尽くす事が絶対と思われ勝ちであるが、自分の意に沿わないことや理不尽と思うことに対しては敢然と反抗も辞さないなど、出処進退を自らの心に従った戦国武士道の例は多い。

『細川家54万石の当主が病死の折り、生前に殉死(じゅんし・主君の後を追い自決する事)を許されていた家臣が次々に自決する。

主君の側近く仕えた阿部家の当主は生前殉死を願うも許されず生きて次代に仕えるが、家中の悪い噂に堪えかね切腹する。
それが細川家跡継ぎにもこころよく思われず阿部家の相続にも影響する。

阿部家ではこれらを理不尽と受けとめ一族全員が屋敷に立て籠り女子供を殺した後、討っ手を迎えて奮戦し全員討ち死にを遂げる。
この際、隣家や討っ手になった武士達のそれぞれの振る舞いも武士道に照らして描写される。』

現代に生きているものにはなかなか理解できないが、死よりも大事な意地や節義といったものが厳然と存在した時代が、目の前に立ち現れてくるような文章になっている。

森鷗外は亀井氏・津和野藩の典医(てんい)家の生まれである。
亀井氏は戦国時代山陰地方の大々名・尼子氏の元家臣で、尼子氏が毛利氏に滅ぼされると秀吉に臣従、その後関ヶ原では東軍徳川方に属し大名として存続した経歴を持つ。

これらの歴史背景が森鷗外にこの小説を書かせたのかもしれない。
いつの時代でも有る理不尽なことに出会った時にどうするか、読み終えて粛然と姿勢を正したくなる小説である。

◎歩きで見かけた一風変わった植物、図鑑を見るとユキノシタアスチルベに合致しているような気がする。