黒田基樹著「下剋上」講談社現代新書 を読み終えた。
下剋上とは中世(平安時代末~戦国時代)を代表する歴史言葉で日本史の授業では必ず出てくる。
この本の中では「下剋上」を
「下位の者が、主体性をもって、実力を発揮して、上位の者の権力を制限したり、それを排除したりすること」
と表している。
それは既存の社会秩序の観点からは批判的に表現される。
この現象は社会秩序の流動性が高い戦国時代の武家社会で特に頻繁に見られ、この本の中では長尾景春、伊勢宗瑞、朝倉孝景、長尾為景・景虎(上杉謙信)、斎藤道三、陶晴賢、三好長慶、織田信長・秀吉・家康の事例が取りあげられている。
この内、陶晴賢はふるさとにも関連があり、また陶晴賢の厳島合戦に従軍したとの先祖の言い伝えを持つ同級生がいることから2020年2月25日のこのブログに「陶晴賢の謀反」として書いたことがある。この経緯もありこの本の著者の見方を整理してみる。
西国の雄・大内家の筆頭重臣であった陶隆房(後改名して晴賢)は主君・大内義隆を攻めて自害させるがその後毛利元就との厳島合戦で戦死する。
・大内家内部や領民は大内義隆と陶隆房の対立に当たり大半が陶側に心を寄せていた。
・隆房は主家を乗っ取る気はなく、大内家の跡目には九州大友家から大内の血脈である晴英(後の義長)を迎えて臣下の礼をとり名前も主君の一字を受けて晴賢と名乗った。
・晴賢の戦死がなければ大内氏の滅亡もなく毛利の伸長にも限界があった。
・晴賢の最大の問題は「主殺し」に至った事であり当時でさえも下剋上のなかで稀な事であり信用失墜に繋がった。
◎黒澤明監督の懐かしいモノクロ映画に、三船敏郎が主演した「蜘蛛巣城(くものすじょう)」があるが、主人公が奥方にそそのかされて主(あるじ)を殺し城主におさまるものの、その後奥方共々精神に異常を来たし破滅する。
このストーリーは例え乱世であっても「主殺し」の持つ重さを端的に表しているように記憶している。
◎下剋上が頻繁であった戦国時代でも身分秩序や主従関係の意識が強固に存在している。
あの織田信長でさえ、後に大きな障害になる事が想定される主君・足利義昭を殺さず追放に留めているのはその表れだろうか。
◎毛利元就は陶晴賢の最大の失策「主殺し」のお蔭で中国地方の覇者となったのかも知れない。
◎陶晴賢とふるさととの接点は次回に。
◎狭い路地に1本だけ垣根から顔を出すのはグラジオラス?