評伝「毛利元就」と周南・鹿野の江良(えら)氏

4月8日のこの日記に書いたように岸田裕之著「毛利元就ミネルヴァ日本評伝選、を読み進めている。
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周防国(すおう・山口県)陶隆房(すえたかふさ・後の晴賢)は天文20年(1551)9月1日、主君大内義隆長門国(山口県)・大寧寺(たいねいじ)に討ち果たし、その後安芸国(広島県)にあった毛利元就を味方に引き入れるべく折衝が始まっていた。

この評伝のなかで、同年9月7日隆房奉行人(ぶぎょうにん)・江良房栄(えらふさひで)が当時安芸国国衆(くにしゅう:豪族)天野氏に宛てた書状が紹介されている。その概略は
・9月1日大寧寺大内義隆が自刃した。
大内氏の後継者として九州・大友氏から晴英を迎える。
・これらのことは安芸国衆連合の盟主・毛利元就から伝えられる。

江良氏は大内氏重臣の一人で陶氏の謀叛に加担したことが分かり、陶方でも中枢で重要な執行役を担っている。

実はこの評伝を読む少し前に、山口県周南市に住む同級生から、この江良氏の居館跡地に咲いている立派なしだれ桜の新聞記事を、LINEで送ってもらっていたので、その巡り合わせにビックリした。

江良房栄はその後、陶隆房に討たれ粛清される。

山口県下関市生まれの作家・古川薫さんの作品「毛利元就とその時代」では、江良房栄は陶氏と毛利氏が対立すると毛利方へ寝返ろうとするが、戦後の報償で折り合わなかった。
この為、毛利元就は陶方に江良氏裏切りの情報を流し、これを信じた陶隆房は江良房栄を急襲し自刃させたと書かれている。
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周南市ホームページにある、市が調査復元予測した地図を見ると、江良氏の居館は周南市鹿野地区にあり、ほぼ65m四方の広さで、土塁、堀で守られ三方に虎口(ここう:出入口)を持つ立派なものである。
また後背地には別に江良氏の持ち城・藤掛山城が有ったといわれる。

大内氏の山口居館からも近く、その時代には余程重きを置かれていたことがうかがえる。
大内氏に謀叛を起こした陶氏にとって、江良氏は煙たい存在であったのかも知れない。

ソメイヨシノが終り八重桜の時期になっている。近所の散歩道端、近くで見る方が八重桜の花びらがきれいに見える。
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