現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では小池栄子さんが頼朝の妻で北条義時の姉に当たる北条政子を演じられている。
(正直に云うと私はこの番組の熱心な視聴者ではないのです)
政子は頼朝亡きあと実子である二代将軍頼家(よりいえ)、三代将軍実朝(さねとも)も相次いで失くし源氏嫡流が絶えた後、京の摂関家(摂政関白に成ることが出来る最上級の公家)から幼き四代将軍(後の藤原頼経)を迎えてそれを尼将軍として後見し、鎌倉幕府を支えたが、女性権力者の常として嫉妬深い、権力欲が強いなどこれまで世間の評価は良いとは云えない。
夫の頼朝に先立たれ、子供や孫まで病気や権力争いのなかで次々に失い、実の父親を追放するなど家庭的には決して恵まれた状況ではなくむしろ大不幸ともいえる。
その政子が女性ながら大勢の東国武士・御家人を前にして行った大演説が日本史のタ-ニングポイントともいえる事変の決着に決定的な役割を果たした。
鎌倉幕府3代将軍・源実朝の不慮の死後、幕府と朝廷の軋轢(あつれき)が増す中で、承久3年(1221)5月15日、朝廷への権力集中を目指す後鳥羽上皇が幕府執権・北条義時追討の院宣(朝廷の支配者・上皇の命令書)を下した。「承久の乱(じょうきゅうのらん)」の勃発である。
当時鎌倉幕府といっても実質的に支配していたのは東国であり西国は未だ大部分が朝廷の直接支配下にあった。
また朝廷の発する官宣旨(かんせんじ・天皇の命令書)の効力は絶大なものがありこれが同時に発せられたことで全国の武家がこれに服すると思われた。
ところが幕府首脳は大きく動揺しながらも辛うじて踏みとどまり、5月19日主だった御家人達が政子の邸宅に参集した。このときに政子の演説が始まる。
(これらをお膳立てした中心人物の一人が長州藩毛利家の祖である大江広元(おおえのひろもと)である)
坂井孝一著「承久の乱」中公新書 では
当時の史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」をもとに東国武士を結束に導いたその演説は
「皆、心を一つにして うけたまわるべし。これ最期の詞(ことば)なり」
で始まったと書かれている。
演説の中味と乱の結末は次回に書きます。
🔘健康公園樹木シリーズ 名札が消えかかっているが初めて出会った「コブシ」
コブシといえば千昌夫さんの「北国の春」
♪︎♪︎コブシ(辛夷)咲く あの丘 北国の 北国の春♪︎♪︎
今朝はつい唱いながら歩いてしまった。