NHK BSで放送された1時間のドキュメンタリー番組「戦艦大和 パイロットたちの終戦」を録画していたがここにきて漸く観終わった。
この番組を録画したのは番組名にある戦艦大和と航空パイロットの繋がりが理解出来ず、その不思議さに釣られたもので番組を観てよく分かり、知識が増えて感謝している。
云うまでもないが戦艦大和は日本海軍が建造した2隻の大和型戦艦の内の1番艦で2番艦の武蔵と共に基準排水量6万5千トンの世界最大の戦艦であり、竣工就役は昭和16年(1941)12月で一時期連合艦隊旗艦も勤めた。
海戦の主体が航空母艦や航空機に代わっていた為、太平洋戦争を通じて華々しい戦果をあげることなく、昭和20年(1945)4月6日沖縄戦を援護するため乗組員3332名で特別攻撃の為出撃、翌7日鹿児島県坊ノ岬沖で386機の米軍機の攻撃を受け沈没した。戦死者は3056名に及ぶとされる。
以上が一般論でここからがこの番組の核心部分になるが、
大和の主砲は世界最大の46センチ砲9門で1発の砲弾重量は約1.5トン、最大射程が42kmに及ぶ。(当時の仮想敵国米国最大戦艦アイオワの主砲は40.6センチ最大射程38km)
42km先と云えば、地球が丸いことから水平線の下方に当たり大和の艦橋からは観測出来ないことになり、航空機を飛ばし敵艦への着弾観測を上空から行う必要が生じる。(艦に設置された測距儀で観測出来るのは最大25km程度)
この為大和には飛行科と云う部門があり41名が所属、艦後方に複葉2人乗り零式観測機、単葉3人乗り零式水上偵察機、何れもフロート付き5~6機を搭載可能であった。
主な任務は弾着観測、索敵、対潜哨戒であった。
発艦は艦後部のカタパルト(射出機)から発出、着艦はフロートで水面に降りた機をクレーンで引き揚げ翼を折り曲げ台車に乗せレールやターンテーブルを通じて艦内に格納され、46センチ砲の砲撃で生じる爆風対策が厳重にされていた。
この観測機や偵察機はフロート付きである為戦闘能力に限界があり任務途中で米軍機に遭遇すると常に撃墜されると云う危険に付きまとわれた。
大和の沖縄特攻では零式水上機1機が搭載され乗員3名で出撃後艦前方の哨戒索敵任務の後、鹿児島県指宿基地に無事帰投した。
番組の終盤生き残った整備兵などの飛行科員が残した大和の最期・沖縄特攻を描写した手記が紹介される。
◉いつ観ても聞いても読んでも日本軍が壊滅する描写は辛いものがある。しかし時代に合わなかったとは云え当時世界一の技術力を示した艦が有ったこと、そこに今まで知らなかった飛行機の搭載と云う事実があったことを知ることが出来て知的な満足感が残った。
◉今日の一句
盆の度遠く成りゆく里の墓所
◉施設介護棟の屋上庭園 ランタナ
◉玉虫の写真を何時もの場所に掲示させて貰った。