英雄たちの選択・よみがえれ大仏~重源 61歳からの挑戦~

NHK BSの歴史番組、英雄たちの選択で「よみがえれ大仏~重源 61歳からの挑戦~」が放送され録画再生してようやく見終わった。

俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は平安時代末期から鎌倉時代にかけての僧で、源平騒乱の幕開けの時期、治承4年(1180)平家の南都(なんと・奈良)攻めで焼け落ちた東大寺大仏と大仏殿の、その後の復興を成し遂げた。

大仏の初期建立は聖武天皇詔勅に始まったことはよく知られているが、このとき以来大仏は民衆によって支持された対象で費用、労力、技術などを民の協力を得て結集する慣わしになっておりこれを勧進(かんじん)と称した。

(2023年12月28日のこのブログ参照)

重源は養和元年(1181)当時としては甚だしき高齢の61歳の時に後白河法皇の命で再建を指揮する「東大寺大勧進職」に着き活動を開始する。

活動の基本は全国を対象にした勧進活動で更に、朝廷や鎌倉幕府創始者源頼朝などにも協力を求め成功する。

重源は「入唐三度聖人」と自称したように中国(当時は北宋)に三度渡り仏教修得と併せこの折に建築、建設技術などを習得、中国人技術者・陳和卿(ちんわけい)の協力を得て自らも技術者や職人を指導したといわれる。

番組冒頭、山口県山口市徳地(とくぢ)にある重源が作った現代のサウナに当たる石風呂施設の紹介があったように、重源は山口県に深いゆかりがあり大仏殿再建の資材を調達すべく周防国(すおうのくに・山口県東部)国司に任ぜられて赴任、現地で用材の伐採運搬等の陣頭指揮をとった。

先の石風呂はその作業に当たる人々のための保養施設のひとつである。

大仏は文治元年(1185)開眼供養、建久6年(1195)大仏殿再建落慶供養、建仁3年(1203)総供養が行われた。この時重源は83歳と推定される。

「英雄たちの選択」では毎回主人公の運命の岐路とも云うべき選択が話題になるが、今回は、重源が大仏殿用材の調達のため国司(こくし)として派遣された周防国で地元の地頭(じとう)の協力が得られず、その打開策として大仏再建の大元である朝廷に頼るか、新興の実力者・源頼朝に頼るべきかの選択が提示された。

重源は自ら鎌倉に出向き頼朝に頼ったことで事態を打開した。頼朝は後白河法皇が崩じた後この大事業の最大の後援者となり建久6年の落慶供養に鎌倉から大軍勢を従えて参列したとされる。

番組の出席者のひとりが重源のことをプロデューサーでありマネージャー的な人と評していたが、僧であり精神面で人を指導できることと併せ、技術面でも指導できる素地があることが非常に有効に作用していると思われる。

🔘今日の一句

 

走り梅雨紀淡の海を渡り来る

 

🔘歯医者の近く、民家の方に了解を得て撮らせて貰ったアマリリス

🔘今朝の健康公園の小雀、どうもシロツメグサの蜜を吸っているような動作をしている。