芥川賞「おいしいごはんが食べられますように」

第167回(令和4年上半期)芥川賞受賞作、高瀬隼子(たかせじゅんこ)著「おいしいごはんが食べられますように」を読み終えた。

芥川龍之介賞の受賞作はいつも月刊誌・文藝春秋に掲載されることが決まっており、施設のライブラリーには文藝春秋の新刊が毎号届くところからマスコミで発表された後、文藝春秋が来るのを楽しみにしていた。

同誌には著者・高瀬隼子さんの受賞者インタビューが載っており普段は事務の仕事をしている会社員で「芥川賞なんて自分の人生には起こり得ないと思っていた」などの感想と併せ「自分のなかの〈ムカつき〉をエネルギーにして書き続けたい」などと話されている。

物語は埼玉にある食品や飲料ラベルの製作会社の支店で働く二谷という中堅社員と芦川、押尾という女性社員二人を中心に描かれており、主に二谷と押尾二人の語りという形式で物語が進む。

作者はインタビューのなかで随所に自分の経験や感情が見え隠れしているといっているが、題名の通り「食」と「食べる場」がテーマのひとつでありまた当然ながら職場の人間関係が色々な形で表現され、そこに作者の云う〈ムカつき〉が垣間見得てくることになる。

二谷は何事にもそつがなく仕事もこなすが、食へのこだわりがなくお腹が膨らみ時間が短縮出来ればなんでもいいという人物、

芦川は仕事が出来ない分気配りで周りの評価を得て自分の立ち位置を守る人

押尾は仕事が出来て時として芦川の分までやることになり、芦川を批判的に見ている。

この三者の関係を軸に食が絡んで物語は進むのだが私は読むなかで2点ほど自分に置き換えて過去を振り返ってしまった。
・現役時代私も二谷と同じく食にこだわりが少ない方で時間が勿体ないような気がして義務感で食べるようなときがあった。
・芦川が早退したため仕事が間に合わないことを押尾が上司に報告した時の上司の言葉
「誰でもみんな自分の働き方が正しいと思っているんだね。無理せず帰る人も、人一倍頑張る人も、残業する人もたくさんする人も自分の仕事のあり方が正解だと思っているんだよ」

押尾や作者の高瀬さんと同じく私も若い頃はずいぶんムカついたことがあった気がする。

🔘本当に久し振りに現代文学のひとつを読むことが出来て、歴史に片寄り勝ちだった頭のなかを少しばかり矯正した気がしている。

【墓参り 終えて親娘で 珈琲を】

🔘昨日夜8時頃花火の音がするのでベランダに出てみると北東方向でごく短時間花火が打ち上げられた、本当に久しぶりに花火を見た気がする。