源(げん)と平(へい)の成立①

直近のNHK大河ドラマが「鎌倉殿の13人」で久しぶりに源氏と平氏に焦点が当たっている。

播磨国を知るべく司馬遼太郎さんの「街道をゆく」を読み直すため図書館で司馬遼太郎全集の該当する巻を借りだし読み始めているが全集各巻には月報という小冊子が附属しているのが常で、この中に司馬さんが雑談ふうにと断って「源と平の成立と影響」と題してエッセイを書かれている。

この源氏と平氏の成立について私は以前大阪の朝日カルチャーセンターで講義を受けたことがあり、ひょっとしてこのブログでも一部触れたかも知れないが、重複を恐れず要点を書いておきたい。

平安時代初期歴代天皇の皇族などが多数いて天皇家の財政が極度に窮迫、多くの皇子たちを養っていけず、新たな姓・源(げん)が創設された。
弘仁5年(814)嵯峨天皇の時代、多くの皇子皇女に「源」姓を持たせて臣籍(しんせき・臣下の身分)に下した。

次いでそれから11年後825年桓武天皇親王の子を臣籍に下し初めて「平(へい)」を起こした。

源氏の場合最初の嵯峨源氏に始まり淳和(じゅんな)、清和、村上、など10人の天皇の枝脈(しみゃく)が大量に源氏になった。
平氏桓武を含め4人の天皇のわかれが平姓を名乗ることになる。

この「源」と「平」が何れも中国風の一字姓であることに司馬さんは着目している。
この時代はいわゆる「遣唐使」の時代であり、遣唐大使は当たり前のことながら土師(はじ)、吉備(きび)、阿倍、藤原など二字姓であり、中国では古来二字姓は異民族出身を表したことから唐・長安では田舎臭いと感じるむきもあり、公文書に一字姓例えば「藤」と変えた例があるらしい。

更に付け加えれば中国王朝は殷(いん)、周、秦、漢など一字であり外周の野蛮国は匈奴西夏新羅、など二字である。

🔘この部分について私には非常に納得出来る想い出がある。
私の姓は漢字で二字、名は三字である。中国人の名前は姓と名併せて二字か三字がほとんどであり、仕事で中国上海に駐在していた折り中国人の一人から五字が珍しい(おかしい?)と直接云われたことがある。
私の場合はそっちこそおかしいと思っていたが遣唐使ともなるとそうもいかないらしい。

よく云われるように「清(しん)」の皇帝は満州族で、姓は「愛新覚羅(あいしんかくら・アイシンギョロ)」である、これだけ見ても漢族にとってなかなか受け入れがたい思いが有ったのではないだろうか。

🔘続きは次回に。

【赤い花 綿毛となりて 夏の空】

🔘庭シリーズ、この花もどうやらタンポポのようにワタボウシになるらしい。