「ふりさけ見れば」②

2021年11月5日のこのブログに「ふりさけ見れば」と題して安部龍太郎さんが日経新聞に連載され始めた遣唐使を主題にした連載小説のことを書いた。

その後私は毎日欠かさず、引っ越し後も含めこの小説を読み安部龍太郎さんの構想力、筆力に脱帽している。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

三笠の山に 出(い)でし月かも

阿倍仲麻呂遣唐使で渡った中国・唐でようやく帰国を許された祝いの席で詠まれ古今集に載せられている歌で、これがこの小説の題になっている。

「ふりさけ見れば」とは遠く遥かを眺めればの意味で唐の地で見た月を大和の地に出る月になぞらえ懐かしさがにじみ出るような歌になっていて、私も海外勤務の折にその地から月や星を眺め何とも云えない心境になったことがあり共感する部分もある。

阿倍仲麻呂の帰国船は嵐に遭遇して漂着、唐・長安に戻ることになり結局仲麻呂は異国で生涯を終える。

連載はまだまだそこに至っていないが一般に阿倍仲麻呂は唐の玄宗皇帝に重用されてなかなか帰国が叶わなかったとされる。
しかし安部龍太郎さんの小説では「日本の朝廷の密命を受けたスパイ」として唐の宮廷に入り込み、日本の国史と唐の正史を整合させるための情報を盗み取る役割を阿倍仲麻呂に負わせている。

この背景として、当時の東アジア情勢、白村江の敗戦後の唐に対する日本の危機感、壬申の乱(じんしんのらん)後の天智天皇系、天武天皇系の対立、藤原一門と吉備真備(きびのまきび)や橘(たちばな)氏との対立などを縦横無尽に描き、歴史を高く広くすなわち俯瞰(ふかん)的に見なければ成り立たないような構成になっており毎日の新聞が待ち遠しい。

安部龍太郎さんの小説は歴史の狭間を新しい視点で埋めて行くようなところがあり、同じ事象を対象にしながら、史料をもとに歴史の事実と向き合う歴史学とは別の、文学としての価値を作り出しているような気がしている。

阿倍仲麻呂が「ふりさけ見れば」を詠んだ中国・寧波(ニンポー)は古くから日本と繋がりがある長江デルタの南に位置する天然の良港で、私も仕事で訪れたことがあり現在も大規模に発展する港湾都市になっている。
また中世に山口を拠点にした西国の大大名・大内氏もこの港を大陸貿易の窓口にしていた。

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