『遣唐使とユーラシア大陸ーー「ふりさけ見れば」連載を終えて』

安部龍太郎さんが日経新聞に連載されてきた「ふりさけ見れば」が全567 回で、とうとう終わってしまった。

奈良時代に大国・唐と我が国が朝鮮半島情勢などを経て緊張状態にあるなか、遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂吉備真備(きびのまきび)を主人公に、当時の東アジア情勢を交えながら展開する壮大な歴史小説である。

そうこうする内に作者の安部龍太郎さん自身が『遣唐使ユーラシア大陸ー「ふりさけ見れば」連載を終えて』と題して日経新聞の文化欄に小説の「あとがき」と思えるものを寄稿されている。

それによると安部さんがこの遣唐使を主軸にした物語を描こうとしたきっかけは以下のようなことである。

正倉院展に行って唐の時代に高貴な女性が履いた爪先にコブのような盛り上りついた室内履き(雲頭靴・うんとうくつ)を目にし、これがもはや中国にはなくて長安(中国西安市)から2460km離れた奈良と、2570km離れたウイグル自治区ウルムチにしか残っておらず唐代の文化や情報の広がりを理解した。

・30年前に中国各地を旅行して中国、東アジアの歴史と日本は分かち難く結びついていることを痛感した。

・12年前日本経済界の訪中団に加わり西安市にある阿倍仲麻呂記念碑の前に立った際、遣唐使を描けば上記のような長年の宿題を果たすことが出来ると思い定めた。

このような壮大な物語を描くにはやはり作者の30年もの長きに渡る想いがあるのだと大いに納得するものがある。このような想いと膨大な知識がないと書けない物語だろう。

ラストシーンの場所のひとつが私の故郷に近い山口県長門市油谷湾の港・久津(くず)であることから、先のブログに古来この地は大陸との窓口であり、楊貴妃渡来伝説が残されていることもあって作者が選ばれたのではないかと推測を書いたが、あとがきを読むとまさしく推測通りで、ラストシーンを書く前に安部さんはこの地に立ってそのシーンを書く決意をしたとのことである。

機会あれば安部さんと同じく北長門油谷湾の断崖に立って見たいものである。

 

 【もうはまだ まだはもうとは春のこと】

 

🔘明石城公園の花壇