「英雄を歩く」

安部龍太郎著「英雄を歩く」日本実業出版社刊 を読み終えた。
f:id:kfujiiasa:20220218133142j:plain

安部龍太郎さんは現在日経新聞阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や吉備真備(きびのまきび)たち遣唐使の物語「ふりさけみれば」を連載中で、阿倍仲麻呂がついに帰国がかなわず異国に骨を埋めることになった経緯を斬新な構想で書き続けられている。

本の題名はいかめしいが内容は今まで書かれた小説の取材ノートというべきもので冒頭の言葉にその本質が現れている。

『小説を書く時には、舞台となった土地にできるだけ足を運ぶことにしている。主人公が生まれ、育ち、歴史に名を残す活躍をした場所に立てば、史料だけでは分からない多くの真実が見えてくる。
古戦場を歩けば戦った時の苦労が身体感覚として分かるし、生まれ育った故郷に数日とどまれば、風や土の匂い、方言の特質、食生活の状況など、その人物の根底を支えるものが少しずつ理解できるようになる。~~~~~』

歴史研究者ではないので、史料の積み重ねではなく現場に立って郷土史家など現地の人の話を聞き、歴史上の人物の疑問点を独自に解明しようとする姿勢がこの本に随所に出てくるがその中の一例を。

戦国時代甲斐国(かいのくに・山梨県)の武将・武田信玄は23歳で家督を継いで以降26年間、信濃国(しなののくに・長野県)を経て北進を志向する。
信濃を順次攻略していく過程で北信濃の雄・村上義清を追い、村上氏などの救援要請を受けた越後の上杉謙信川中島で激突する。

(安部さんはこの村上氏が瀬戸内の村上水軍と同族であることにも着目している)

信玄は結局この北の壁を突き破る事が出来ず、26年の歳月の後南進策に転じて駿河国(するがのくに・静岡県)に出るが、
この永年北にこだわった理由を安部さんは以下のように書かれている。

信濃から越後国(えちごのくに・新潟県)に出れば日本海海運のルートに直接つながる事が出来て日本列島を横断する道が確保出来る。
日本海に出れば海外貿易(中国、朝鮮、南蛮)とも直接繋がり、これによって鉄砲を生産したり実戦で用いるための物資(軟鋼、真鍮、硝石、鉛等)を輸入する軍事目的も達成出来た。

◎従来の固定観念にとらわれず、歴史小説家らしい解釈や発想が随所に見られる取材ノートになっている。

◎赤い実と思ったがどうも蕾らしい
f:id:kfujiiasa:20220218134244j:plain
f:id:kfujiiasa:20220218134305j:plain