河合 敦(かわいあつし)著「晩節の研究 偉人・賢人のその後」 幻冬舎新書刊 を読み終えた。著者は日本史の専門家で最近時折TVでも見かける。
歴史に名を残す偉業を成し遂げた人物も殆んどの場合本当に活躍したのは一時期である場合が多く「その後」の人生は意外に知られていない。この本はその部分に焦点を当て古代から近代に至るまでの30人の「その後」を扱っている。
ここではそのなかで古代の偉人のひとり、鑑真のことに触れさせて貰うことにした。
鑑真は唐(とう・中国)の高僧で中学校の教科書にも登場し「日本に渡ろうとして何度も遭難し、盲目になりましたが、遣唐使にともなわれて来日し正しい仏教の教えを広めました」などと書かれ盲目で静かに座る「鑑真和上坐像」はなんとも云えない人を惹き付ける魅力を持っている。
折しも作家・安倍龍太郎さんが日経新聞に連載中の「ふりさけ見れば」では阿倍仲麻呂、吉備真備等と共に遣唐使船で最後の来日航海に差し掛かっている。
聖武上皇は藤原一門に対抗して仏教戒律に基づく国作りを目指し、この戒律を授ける権威として鑑真を招聘した。来日後鑑真は正式な僧侶の資格となる「戒」を授ける唯一の人となり聖武上皇以下にこれを授け、仏教による統制に寄与する。
晩年の数年間鑑真は唐招提寺で静かに過ごし天平宝字7年(763)寺の宿坊で西を向いて座って生涯を終えたと言われ火葬の際に芳香がただよった等色々な伝説に彩られている。
鑑真の訃報が唐に伝わると唐でも諸寺院の僧侶による大斎会(さいえ)が執り行われた。
最期まで日中両国の仏教会で尊敬された無私で稀有な人物と云える。
【意気阻喪 内に籠るか 冬時雨】
🔘施設介護棟の庭シリーズ、画像検索から見るとホソバウンランのような気がする。