こころの時代「悪人とはだれか」

NHKEテレに「こころの時代」という番組があって、副題に「宗教・人生」が付いている。

私は今まで無宗教、無信心で来ているのでこの番組を視聴したことはなかったが、たまたまいつものルーチンで録画の為番組表を当たっている時「悪人とはだれか」という題が目に留まり録画しておいたものである。

番組は再放送のものであったが、私が予測した通り、鎌倉時代の僧・唯円(ゆいえん)の著作・歎異抄(たんにしょう)に書かれてある「本願念仏」の思想に基づく悪人正機(あくにんしょうき)と呼ばれる説、

善人なをもて往生をとぐ  いはんや悪人をや

の意味を宗教学者・阿満利麿(あまとしまろ)さんが解き明かしていく。

普通に読めば、「善人ですら極楽往生を遂げるのだから悪人が往生するのは云うまでもない」となり世間の常識と反対になる言葉で以前にもこのブログに書いたことがある。

唯円は師である浄土真宗の開祖・親鸞が死して後、異端の説が流布したことを歎き歎異抄」を著したとされる。すなわち 善人なをもて~  は親鸞の言葉(親鸞の師である法然の言葉)である。

この番組で得られた内容を私なりに整理すると以下のようになると思われる。

・ここで云う善人悪人は、現在の我々が想定する法律や道徳を規範としたものではなく、仏教的なものであり、善人とは戒律を守り知恵を磨き自ら仏になることをを求めるような人で、悪人とは自ら仏教の教えを実践出来ない普通の人を指している。

・いくら修行を重ねても煩悩を消し去る(コントロールする)ことは出来ないと悟ったことから、本願念仏にたどり着いた法然の思想が根本にある。

・自らの努力によって善を行う人は阿弥陀仏の本願を頼むことがなく本願の対象ではない。

・現代では悪人を自覚している人は少ないが、13世紀当時、悪人ということを自覚した人々が沢山居た。武士、猟師、漁師、遊女etc、これらの人々に救いを与え善悪を乗り越える道を教えている。

・善悪などを行う現在の自分は、宿業と呼ばれる過去の行いの結果であり、過去の因縁から成り立っているが、全ての過去の行為を見通す知恵が備わっている訳ではない。

・あくまでも宿業とは他者をあげつらう事ではなく自分の存在を知るための道具である。

・善悪は全て自分の自由意思によると思いがちであるが、根本的には過去の自分の行為、関わった人々の行為や影響のもとに暮らしている。この認識のもとに主体性を働かせることが大切である。

・人が生きて行くためにむごいこと、かなしいこと、恥ずかしきことをやらずして生きていけないが、念仏を唱えることで仏になるという意識が得られ、これらを乗り越え明るく生きていける。

宗教哲学者・清沢満之(きよさわまんし)の言葉「天命に安んじて人事を尽くす」(人事を尽くして天命を待つではなく)

🔘とても理解したとは云えないが一歩前進したような気がしている。「過去に関わった人や過去の自分の行為から現在の自分が暮らしている」という言葉は説得力を持って響いてくる。

これは個人的な理解だが、この善人、悪人の理解は小乗仏教と、大乗仏教の違いを表しているのかも知れない。

🔘今日の一句

 

雪便り定規をそっと立ててみる

 

🔘近くの施設の庭、多くの草花が枯れた中で少しのコバノランタナ