映画「梅切らぬバカ」

昨日は入居している施設の少人数映画会で日本映画「梅切らぬバカ」を鑑賞した。

占い師として自立した母親と50歳になる自閉症の息子が二人で暮らす民家の隣に3人家族が越してきて、トラブルの後にお互いを理解するようになっていく。

自閉症の息子が将来独りで暮らさなければならないことを想定しグループホームに入居を決めるが、近隣とのトラブルやホーム内での行き違いなどから結果的にもとの二人暮らしに戻り、隣家の家族と交流しながら新しい生活が始まる。

母親は自家をいっそのことグループホームにしようかと考え、将来への希望を見せて映画は余韻を残して終わる。

題名は当然ながら「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」ということわざから取られ、それぞれの個性を尊重しようとする意味だと思われるが、番組の中でも母子の家の梅ノ木が生活道路にはみ出すことでその対応を観ている側に考えさせる場面がある。

この映画で最も考えさせられたのはNIMBY(ニンビー)「Not In My Backyard(我が家の裏庭には置かないで)」。
映画のなかでグループホームと近隣住民との軋轢が描かれたが、「社会的に必要なことは分かるが自分の裏庭には困る」という問題である。

ニュースを観ていると、あらゆる施設などがこの問題と向き合っており、いざ自分の裏庭にとなったときどう行動すべきか社会正義と自分の生活とどう折り合いをつけるか難しい課題でもある。

主演の肝っ玉母さんが加賀まりこさん、息子役が塚地武雅さんでいずれもはまり役。
私には加賀まりこさんの出演した映画で忘れられないものがある。

作家・宮本輝さんの太宰治賞受賞作「泥の河」を映画化した1981年の同名映画で監督はこれがデビュー作となった小栗康平さん、大阪安治川河口で小さな店を営む夫婦の息子の目を通して戦後の高度成長前の風景が描かれる。

若い時分の加賀まりこさんは息子の同級生の母親で、川船で売春をして生計を立てている。その息子へ向けての台詞「おばちゃんはなー、何もかも嫌になってしもうたんよ」は今でも鮮明に記憶に残っている。

【 白い百合 北上夜曲 唄いけり】

🔘玄関先の庭に咲く百合が風にゆれている。