森鷗外と松本清張

今年2022年は森鷗外の没後100年と松本清張没後30年が重なる年であるらしい。
森鷗外は新聞や雑誌で取り上げられ、松本清張は主にTVでと、違う媒体がそれぞれを競っているように見える。

夏目漱石と並んで明治の文豪の双璧といわれる森鷗外は、島根県津和野の出身で東大医学部卒業後陸軍軍医に任官、ドイツに留学、帰国後累進して軍医のトップ陸軍軍医総監に上り詰める。

私は特に歴史小説が好きで中学生の頃から「阿部一族」「高瀬舟」「寒山拾得」などを読んできた。

また鷗外が死に臨んであらゆる肩書きを外し「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」と書いた遺言には感動している。(津和野は旧石見(いわみ)国に属す)

一方松本清張は鷗外と対照的で北九州・小倉生まれ(広島という説がある)尋常高等小学校卒業で色々な職を経るなかで文学を志す。推理小説や古代史の分野でのベストセラー作家、書いた作品は約1000点になると云われる。

私は20歳位から始めて数えきれないほど読んだ気がするが「砂の器」「黒い画集」などが記憶に残っている。

没後の節目で交錯する二人だが別に決定的な交錯点がある。松本清張が世に出るターニングポイントとなったのは1953年の芥川賞受賞作「或(あ)る小倉日記伝」である。

当時小倉に住んでいた清張さんが、鷗外が師団軍医部長として小倉に勤務していた時代(1899年6月~1902年3月・左遷されていたとの説がある)の日記の行方がわからなくなっていることを糸口に、この日記をさがすことに生涯を掛けた障害のある人物の生き方を書いている。

私はこの作品を若い時分に一度読んだ際はあまり気になる事はなく素通りしていたが、中年時分に何かのきっかけで再読した折りにひどく感動した覚えがある。
主人公が不遇のなかでもひたすら自分の思いに向けて奮闘する姿に心が動かされたのだと思っている。

この作品内容から見ても、清張さんは森鷗外を心に留めていたのは間違いないと思われる。

🔘ベランダから夏の夜空を眺めて

黄河には 星生む地あり 天の川】

🔘施設の庭シリーズ
これは花なのだろうか?それとも葉が変色したものか?