ブログ投稿1500回目・「ブラタモリ」山口県特集①秋吉台と厚東(ことう)

NHKの番組「ブラタモリ」で、どういう訳か最近再放送も含めて3件たて続けに山口県の関連が連続して放送され、山口県在住の同級生LINEにも連絡があり録画しておいた。

ここに来てようやく3件とも連続再生して観終わったが、何れも何らかのかたちで歴史に関連しており、ちょうど投稿1500回の節目にも当たり、それではとあまり番組では触れていない関連内容のあれこれをここに書かせて貰う事にした。、

一回目は秋吉台タモリさんが野口葵衣アナウンサーと共に石灰岩が造形したカルスト台地秋吉台とその下に雨水が石灰岩を徐々に溶かしていくことで生じた鍾乳洞・秋芳洞を巡りその由来を解き明かす番組構成になっている。

そのなかで私も番組で初めて知ったのだが、秋吉台付近の雨水が地下に浸透して流れになったものが厚東川の源流に繋がっているらしく確かにグーグル地図を拡大して見ていくとよく分かった。

ふるさとを貫流する厚狭川は秋吉台の西側を通過して瀬戸内海に注ぐが、その東側に位置する厚東川秋吉台の受け皿になっていることが立体的によく理解出来た。

厚東(ことう)という地名は古代律令制で制定された長門国(穴戸国)厚狭郡(現在の下関東部、山陽小野田市宇部市にまたがる地域)の東部に位置することから付いた地名で、当初は厚東(こうとう)と呼ばれていたと考えられ、土地の豪族などが勝手に厚東郡などと私称したことが始まりで「ことう」という呼び方に変化する。

古代、物部(もののべ)氏を祖とする厚東氏は、この地を本拠にして鎌倉時代から南北朝時代にかけて最盛期には長門国守護職を勤め、厚狭松嶽山・正法寺の寺領が周辺の地頭などに侵略された場合の返還を指示したり、今も遺る梵鐘を寄進したりして厚狭にゆかりのある豪族である。

厚東氏は南北朝時代から室町時代初期にかけて周防国(すおうのくに)山口を地盤とする大内氏と抗争を繰り返し遂に敗れて滅亡した。

🔘このブログは2019年3月21日からスタートしており約4年7ヶ月でようやく1500回に到達したことになる。

🔘今日の一句(11月2日は北原白秋の忌日・白秋忌)

 

白秋忌怠け心の「待ちぼうけ」

 

🔘介護棟の屋上庭園のケイトウ(鶏頭)