ゆかりの人びと・山陽道厚狭の町①

f:id:kfujiiasa:20200511110232j:plain

私の故郷・厚狭出身水沢耶奈さんの書かれた「ゆかりの人びと・山陽道厚狭の町」築地書館発行、を面白く読み終えた。
と言っても水沢さんのことはこの本を読むまで全く知らなっかたのだが。

略歴を読むと1905年生まれとの事で私よりはるか年上の大先輩で厚狭高等女学校から日本女子大その後婦人民主クラブ機関紙記者から編集長を経て1962~68年まで婦人民主クラブ書記長となっている。

どうも信条的にはだいぶ立場が異なるようだが、郷里出身の女性の中では時代の先端を駆け抜けた人のように映る。

立場は違っても郷里の事を懐かしく振り返る心情は共通で、厚狭千町で陶磁器や砂糖、製粉等を手広く商う佐々木商店の長女として生まれて過ごした厚狭の町のアレコレが出てきて少し時代は違うにせよ懐かしさが溢れる。以下要点は

・厚狭は元々厚狭市と呼ばれ厚狭川(加茂川とも言った)の東岸、本町、殿町が中心であったが山陽線厚狭駅が西側に出来て町の中心が駅付近に移り千町と言われた。
・父母や、ばあさまと呼んでいた祖母の想い出、母の病気の事やばあさまから貰ったお金の事など。
厚東川のほとりにある伯母の家で過ごしたこと。
・厚狭川の洪水のこと。
天満宮の御神幸、大行司小行司、裸ん坊のことなど。
・店で働く若い衆達のアレコレ。
・父の死、母と家業の行く末、跡継ぎの弟のことなど。
・奈良の女高師に学んだ従姉のはるうねえさま(春代姉様)との想い出
・当時町に何十人もいた芸者さんや髪結いさん家族との繋がりやエピソード。
・町の有名人「料理屋・鬼笑亭」主人の公私に渡る顛末。
等々、厚狭出身者にとっては懐かしい、町の風景が自然に甦るエッセイが綴られている。

別件で厚狭の事を調べるため古書店の在庫リストを当たっているうちに偶然に見つけた本なのだが出会えた幸運に感謝している。
また、佐々木商店の事だが、私の記憶には思い浮かばず、郷里にいる兄に電話して問い合わせたところ、確かに陶器や砂糖等を商う広い間口で古い造りの佐々木商店と言う店が、かつて千町にあったとの事である。