厚狭へ帰省

昨日は墓参りと図書館での厚狭毛利家文書の入手、及び地域の写真撮影の為故郷の山口県厚狭に帰省してきた。これ以上にない好い天気に恵まれたが、残念ながら少し花粉症の症状が出始めたような気もしている。

用事は全て予定通り済ますことが出来たが、先ず奇遇は図書館へ向かう途上で母方の従兄弟にバッタリ出会ったこと。互いにマスクを着けていたがすれ違う前に気付くことが出来、元気な様子が分かり今回帰省の一番の成果かもしれない。

厚狭始発で日本海長門市へ向かう美祢線は2023年7月22日のこのブログで書いたように豪雨で壊滅的な被害を受けたが、その後も不通が続いていて代行バスが駅を出入りしている。線路は当然ながら赤錆状態が激しく見るものを暗い気持ちにしてしまう。

不通の美祢線、線路は赤錆

商店街は子供時代は輝いていたが現在観る影もない。時間待ちでよく寄っていた喫茶店も移転していた。郊外のスーパーマーケット周辺はいくらか賑わっている感じがあるがすぐそばにある鴨神社は気のせいか以前に比べて寂れた感じが漂っている。

厚狭駅

厚狭駅から東方向、千町の通り、面影が全く無い。

厚狭駅から北方向

新しく出来た鴨橋から東の本町方向

鴨神社

厚狭の全景を撮るため物見山招魂場・護国神社へタクシーで向かったが私が厚狭生まれと知った運転手さんの、隣街との合併が失敗だったことを含めた厚狭の現状への愚痴を聞くことになり、自分の身体で感じていることと一致しているだけにやるせない。

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」

という確か中学校で習った室生犀星の詩があるが、状況の違いがあるにせよつい思い出してしまった。

物見山から見る厚狭の全景、応援したくなる風景に新幹線が通過した

厚狭図書館に保管されている長光寺山古墳と妙徳寺山古墳の出土品の一部

図書館に保管されている厚狭毛利家文書の複製を出して貰った

寝太郎像(紅い実はクロガネモチ)と現在の寝太郎用水路

厚狭川

厚狭川畔にある厚狭天満宮

私の生まれた現在の鴨庄一円、奥に松嶽山

 

🔘今日の俳句

故郷の墓前にひとり春の風


商いが廃れゆく街春愁ひ


埋もれたる郷土史追えば山笑ふ