中断中の独り言・ふるさと厚狭の前方後円墳②

9月9日の続き

長光寺山古墳

江戸時代初期、厚狭毛利家入部後の菩提寺・洞玄寺(とうげんじ)は厚狭川の右岸、郡地区下津(しもづ)にあるが、元々その地には古くから長光寺(ちょうこうじ)という名の寺があり荒廃していた跡地に寺号を改め建立されたものである。

この古墳はその西南の裏山標高64mの頂にあり墳長は58mと地方の古墳としては大規模で、築造時期は4世紀後半と推定されている。

出土品のなかには仿製三角縁神獣鏡(ぼうせいさんかくぶちしんじゅうきょう・日本で模作された縁が三角で背面に神獣が鋳出された鏡)、碧玉(へきぎょく・石英の結晶鉱物)製品等もありこれらは中央政権から下賜されたものと考えられ、大和政権に服属したこの地方の大首長の墓と推定されている。

厚狭図書館に保管されている出土品の一部

 

妙徳寺山古墳

妙徳寺(みょうとくじ)は厚狭川の左岸にあり、厚狭毛利家初代・元康の建立に始まり洞玄寺と同じく厚狭毛利家の菩提寺である。

この古墳は寺の東方、惣社(そうしゃ)八幡宮の裏手標高35mの頂にあり長光寺古墳とは約1.5km厚狭川を隔てて向き合う形になっている。

この発見は比較的遅く、平成2年(1990)バイパス工事により成され、この為昭和59年発行の山陽町史には記述が見られない。

墳長は約30m、石室にわずかに残っていた人骨は性別不詳で16~18歳位と推定されている。築造は5世紀後半と推定され、出土品には捩文鏡(ねじもんきょう・捩った文様の入った鏡)、多くの勾玉(まがたま・装身具)等玉類、鉄器等がある。

厚狭図書館に保管されている出土品の一部

🔘二つの古墳の学術的な関係性は不明であるが、厚狭川の扇状地両岸の小高い山の頂にある大構造物(墳高は長光寺山6m、妙徳寺山3mと推定)は、川や海を往き来する当時の人々にどのように映っていたか、私が小説家であれば、妙徳寺山の若い被葬者、大和政権との関係性等と併せ両古墳のつながりにも着目し、格好の素材にしたくなるようなロマンが溢れている。

🔘今日の一句

 

雨あがり草木の愉楽露滴

 

🔘施設の園芸サークルの畑に咲くオシロイバナ(白粉花)

昼間は萎んでいるが

夕方には花開く