ふるさと厚狭の映画館②厚狭松竹

子供の頃の映画館で深い記憶の底にあるのはやはり厚狭の松竹座だろう。

厚狭川鴨橋(かもばし)方向から千町(ちまち)のJR(当時は国鉄)美祢線(みねせん)踏み切りを越えて直ぐを右折すると美祢線沿いにパチンコ屋や飲食店がある小さな歓楽街といった子供の入り難そうな路地で、その突き当たりにあった。

また小学校の帰りに天神さま近くの階段を上り、旧国道2号線から見下ろせば、その大きな古い屋根の如何にも映画館といった風情の建物が見えていた。
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切符売場の近くに映写室があったような気がするが、その付近はなんとも言えない不思議な匂いが漂っていた。あれは映画フィルムの匂いだったのだろうか?
とても古そうな造りで芝居小屋風の、三方を囲むような2階席があったような?

一番記憶に残っているのは小学校から観賞許可が出て、近所の年上と見に行った「忠臣蔵大石内蔵助役は片岡千恵蔵だった気がする。
とにかく、松竹映画、東映映画のチャンバラ、時代劇ばかりだったような気がしている。

ラジオ番組が元になった東映時代劇で「新諸国物語」と名が付いた「紅孔雀(べにくじゃく)」「笛吹童子(ふえふきどうじ)」主演:東千代之介中村錦之助もここで観たような記憶がある。

「ふるさと談義」によれば、ここは元野菜市場で寝太郎町(ねたろうまち)地区にあった芝居小屋「日勝座」を大正15年に移築したのが始まりである。

昭和4年「厚狭クラブ」昭和13年「松竹座」昭和28年「厚狭松竹」昭和34年「厚狭東映」最後は昭和42年家具店に衣替え「太陽家具厚狭店」然し昭和44年には閉鎖された。
映画館(芝居小屋を含み)として約42年間続いたことになる。

私の母が「松竹の名前がまた変わったげな」、「松竹が家具屋になったげな」と言っていたのが耳に残っているが、まさに映画の盛衰を体現した想い出の残る場所である。

◎図鑑を見るとこれはムラサキ科ネモフィラ
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