故郷の図書館の想い出

私の子供時代、故郷厚狭の図書館には大変お世話になったし想い出が沢山詰まっている。

小学校の校門を出た直ぐそばの左手にあり、子供の私から見ても洒落た洋風の造りの2階建、名前が「山下記念厚狭図書館」だった。

一階は雑誌などが置いてある読書や勉強スペースで、冬は赤々と石炭ストーブが燃えてとても暖かかった。
2階には急な階段を上って行くと沢山の書棚があり受付の職員、館長さんらしき男性1人と女性2人の職員だったと思われる。

私は母親から読んでもらった本が面白かったのか小学生の頃は既に本好きで小学校の帰りには毎日のように本を読んだり借りに寄っていたような気がする。

少し記憶が定かでないのだが小学校の何年生かにならなければ貸し出しがしてもらえなかったような気がする、とにかく初めて図書カードが作ってもらえ、本が借りることができるようになって、とても嬉しかったのを覚えている。

その頃から歴史物が好きで、楠木正成を描いた「千早城の旗風」
吉川英治が子供向けに書いた歴史冒険物語「天兵童子」「神州天馬峡」等は今でも記憶のなかにある。

中学生になると町の反対側に学校があることから通学時には無理で、時折出掛けて行く事になったが、ここで司馬遼太郎さんの歴史物に嵌まってしまい、まだ司馬さんは名前が余り売れてない状態だったが、その頃からこの人はきっと有名になると思っていたのが私の自慢である。

このような事から「山下記念厚狭図書館」は私の読書の原点なのだが残念ながら今は山陽小野田市厚狭図書館として別に移転し旧の建物は外形のみをとどめ劣化が激しい。

友人が撮影した元山下記念図書館の外観
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以前から何故この図書館が「山下記念」と称していたのか気になっていたのだがひょんな事から答えがわかった。

答えは、現在の厚狭図書館が保管されていて、別件で借りだした、「山陽史話Ⅲ」の原稿(出版予定が立たないらしい)のなかにあり
〈昭和2年厚狭町石束出身の山下裕大尉が演習中の航空機事故で殉職、父親の美代蔵氏が御下賜金全額を当時図書館建設を必要としていた町に寄付して建設された〉
その為「山下記念厚狭図書館」と命名されたと記されてある。
あらためて感謝したい。

今年のダイコン初めての収穫
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