「東郷平八郎」

田中宏巳著「東郷平八郎吉川弘文館 刊を読み終えた。

著者は経歴をみると防衛大学教授などを勤めた軍事史の専門家で太平洋戦争に関する著作も多い。

この本は日露戦争日本海海戦を指揮してロシアバルチック艦隊に完勝して世界的に名声を博した東郷平八郎について、従来ほとんどの伝記や研究書がバルチック艦隊を撃滅した時点でほぼ終わっているのに対し、その後の生涯にも目を向け「聖将」とまでいわれた人物の功罪両面を客観的に論述したものであり私にとっても得難い知識になった部分が多い。

★新しい知識になった重要ポイント

①有名なバルチック艦隊を迎え撃った際の「敵前大回頭(東郷ターン)」はその前に行われた黄海海戦で敵を取り逃がした戦訓から、同航戦(敵と並進しながら砲撃戦を行う)に持ち込み敵を時間をかけて殲滅するためのもので、司令部内が迷いに迷った末に決まったものである。

昭和天皇の皇太子時代、帝王学のための東宮御学問所が大正3年設置され初代総裁に東郷が迎えられた。成長期の少年が7年間に渡り身近に接し続けた結果として人格への影響だけでなく仕草や立ち居振舞いにもその影響がみてとれる。

この間昭和天皇は学友と共に陸軍と海軍の双方の軍事学を修めた稀有な日本人となる。

東宮御学問所が終了した後、東郷は海軍で唯一の元帥となり日露戦争での武勲と相俟って海軍や陸軍を含む軍部全体のなかで大きな影響力を行使するようになる。

明治の元老が亡くなった後には、公家出身の西園寺公望と二人で元老的な役割を担うようになる。

大正から昭和初期にかけて、第一次大戦後に始まった一連の軍縮交渉(第一回ワシントン、第二回ジュネーブ、第三回ロンドン)を前にして、日本の国防を諸外国との協調で問題解決を図ろうとする勢力と、軍事力の強化や戦時体制化を急ぐ勢力とがせめぎあった。

東郷は艦隊の視点で考えることもあり軍縮反対国益優先の旗頭的存在となり、取り巻くグループも形成され、結果的に日露戦争への回帰という復古現象などを通じ軍国主義国家主義を助長することになる。

🔘今日の一句

 

葡萄にも種子あったかと吹き飛ばす

 

🔘介護棟の屋上庭園の隅でひっそりと咲く初めて見る変わった形の花、サルビアの仲間らしい。