中断中の独り言・「らんまん」の神社合祀

NHKの朝ドラ「らんまん」はいよいよラストスパートにかかって来ているなか、主人公の万太郎が、和歌山県在住の著名な民俗学者南方熊楠(みなかたくまぐす)の影響や、神社の森の植物へのダメージなどを考え、明治政府の神社合祀政策に反対しようとするストーリー展開が進んでいる。

実は以前、私の出身地・山口県の神社数が少ない(2019年の統計で全国で5番目に少ない)のはなぜなのか?と中学同級生に訊かれ、明治に全国に先駈けて招魂社を設立した土地柄なのに不思議と思い、調べていくとこの神社合祀政策に行き着いたことがある。

この政策は、「国家神道(こっかしんとう)」という基本制度のもと、神社の数を減らし残った神社に経費を集め一定の威厳を保持し継続的な経営を可能とさせることを目的として、明治39年(1906)西園寺内閣に始まるが、特に激しく実行されたのは明治41年(1908)山口県出身の第二次桂太郎内閣のときといわれる。

この政策実行は各県の知事の裁量に任された部分がかなりあり地域差が多く出た。山口県は総理大臣出身県ということで忖度も働いたのかも知れない。

山口県厚狭郡教育会が大正15年に発行した「厚狭郡史」によれば、私のふるさと厚狭町の記述のなかに、神社仏閣として「鴨神社」の紹介があり、そのなかに『明治41年以下の諸社を合祀して境内神社を建てた』とあり、実に地域の9社を合祀したことがわかり、「らんまん」にあるようにこれ等の地域の森や林更には祭りなどが失なわれたことになる。

・赤崎社ー鴨庄(かものしょう)地区

・河内社ー平沼田(ひらんた)々

・菅原社ー松ケ瀬(まつがせ)々

・河内社ー森広(もりひろ)々

・河内社ー籾ノ木(もみのき)々

・恵比須社、貴船神社、黄幡社、宮地嶽神社ー厚狭市(あさいち)々

この合祀政策は南方熊楠を含む知識人の反対運動によって明治43年(1910)以降は収束に向かうが、この間全国に約20万社有った神社のうち約7万社が合祀され取り壊されたとも云われる。

🔘今朝施設の庭の柿ノ木を見上げると、まだ渋い筈なのにもう小鳥が来て啄んだ跡がある。余程腹が減っているのか、小鳥の味覚は少し違うのだろうか?

 

渋柿を小鳥味見す朝ぼらけ

 

突つかれ啄まれた柿