ふるさと厚狭・鴨神社と大内氏の伝説①

先日定期で送って貰った「山口県地方史学会」の機関誌・第125号には6月20日実施予定でオンライン開催に変更された、研究大会のレジュメが同封されていた。

それらを見ていくと山口市在住北川健氏の「琳聖太子母后伝説の後世運用と本来像」という題の、室町時代に中国地方西部や北九州に覇をとなえた大々名・大内氏の出自が朝鮮半島百済(くだら)の琳聖太子(りんしょうたいし)だとする伝説を踏まえ、その一部を論じた研究があった。

この中の一節にふるさと厚狭・鴨神社の造立由来と伝わる琳聖太子の母・百済聖明王妃(せいめいおうひ)渡来伝説は大内氏第10代義弘が朝鮮との交易を進めるために事前に作り上げたストーリーのひとつであるとの説明が成されている。

平安時代以降周防(すおう・山口県東部)が地盤の豪族大内氏は、その領国統治の必要性や都の権力層へのアッピールの為、その出自が百済聖明王第3子の琳聖太子であるとの家系伝説を作り上げたとされる。

通常地方豪族は天皇家を頂点とする源・平・藤・橘などといわれる姓の子孫を称することが多いが、大内氏はその中で特異な存在と云える。

大内義弘はこの伝説を利用して応永6年(1399)に朝鮮へ使節を派遣して交易を認められ、この交易上の利益がその後の大内氏勢力伸長(最盛期には、周防、長門、石見、安芸、筑前、豊後6ヶ国の守護職)の大きな要因になった。

私のふるさと厚狭にある鴨神社は、いわば厚狭の鎮守とも云えるような存在であり懐かしい場所に有る。
この北川氏の研究を読み、せっかくの機会と思い私なりに鴨神社の知り得る情報を整理し、その歴史について大内氏との関係を検討してみることにした。ーーー②に続く。

◎江戸時代萩毛利藩6代毛利宗広が御国廻り(領内巡視)に携行すべく描かれた「御国廻御行程記(おくにまわりおんこうていき)」に書かれてある鴨神社と厚狭宿。
~「古地図を片手にまちを歩こう」パンフレット山陽小野田市版より転載。
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◎カンナの季節
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