謎の古代豪族・葛城(かつらぎ)氏

私は大阪の旧河内国地域に住んでいるが散歩の途中などいつも東南方向にある北から二上山(にじょうざん)、葛城山、(かつらぎさん)金剛山(こんごうさん)の山々を見て、雲のかかり具合などから季節の移ろいを感じている。

またこれらの山の標高は最も高い金剛山でも1125mで、私のような不馴れなものでも登山が可能で
3つの山何れもロープウェイを使わず自力で登った経験がある。ー
春霞(かすみ)の左から二上山葛城山金剛山
f:id:kfujiiasa:20210420164024j:plain

この山々の東側(大阪・河内側から山を越えた処)の麓一帯(奈良県御所市、葛城市、香芝市北葛城郡)を地盤に5世紀代にヤマト王権の内政外交を主導して、天皇家(中国からみると倭国王)に匹敵する権力を行使していたのが葛城氏といわれる。

当時の天皇家奈良盆地の南東部(奈良県桜井市橿原市)一帯が本拠地でいわば奈良盆地の南部を葛城氏と東西で二分する関係に有った。
平林章仁著「謎の古代豪族葛城氏」祥伝社新書は、この葛城氏に関わる入門書である。
f:id:kfujiiasa:20210420151409j:plain

葛城氏は淀川、木津川、大和川等の主要な水運を掌握、またその延長で海運を通じて朝鮮半島との折衝を担当、渡来人との親密な関係を築いていた。

天皇家に女性を入内させて権力を握るのは蘇我氏や中臣・藤原氏が有名だが、その前段として5世紀を通じて最も多くの女性を入内させている、

少し私的なことだが、私の生まれたのは山口県厚狭郡山陽町(現山陽小野田市)鴨庄(かものしょう)で京都賀茂神社の荘園であったとされ、今も鴨神社が近くに鎮座する。

この全国にある鴨神社(賀茂神社)の総本社が葛城地域(御所市)にある高鴨神社で、鴨氏を祀ったものと考えられるが、この鴨氏も葛城氏の出自で葛城氏権力の一翼を担っていたと考えられる。

5世紀末天皇家と対立する形で葛城氏は全国の有力氏族との連携を断ち切られ、一族の長・葛城円大臣(かつらぎのつぶらのおおおみ)の焼殺をきっかけに滅亡する。

この本のみでは理解しがたいことも多いが、目の前に拡がっている河内と大和を分かつ山々や、ふるさとの名前などに想いを致す事になった、古代の不思議な豪族名であり、今後も興味が尽きない。