滋賀県・瀬田でのゴルフと瀬田の毛利

昨日は近所のゴルフ好きメンバー4人で滋賀県大津市瀬田のゴルフ場へ、コロナ対応ゴルフに出掛けてきた。
晴れ時々曇りの絶好のコンディションで久しぶりに目標の90切りができて、44、45、トータル89。

最終18番ホールの2mくらいのパーパットを沈めることが出来れば90が切れると分かっており、残ったパットのラインがほぼストレートだったのが幸いし、緊張しながら沈めることが出来、思わずガッツポーズが出てしまった。
こういうパットの記憶はとても嬉しくて、しばらく余韻が残りそうな気がする。
コース越しに大津市街方向を見る
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コース越しに甲賀の山並みを見る
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滋賀県大津市瀬田は瀬田川に架かる唐橋が有名で、この付近は古来幾度となく歴史の舞台になった要地である。
地図を見ると東海道を西に登り最短で畿内(京、大阪、奈良)を目指そうとすると瀬田川の唐橋辺りを渡河する必要がある。
京、大阪を守る側からすると絶対に渡らせてはならない場所である。

ここで激戦になった歴史をひもとくと、壬申の乱(671)、治承寿永の乱(源平合戦)(1180)、承久の乱(1221)等があり、この地が戦略的な要衝であったことが裏付けられる。

今までふるさとのゆかりから毛利家のことを色々書いてきたが、実は毛利はこの瀬田の地にも足跡を残している。

関ヶ原合戦前夜慶長5年(1600)7月、西軍石田三成方の総大将格として大阪城に入った当主毛利輝元は当初積極的に毛利軍を動かす。

当時、大津城主は京極高次であったが、西軍から家康の東軍へ寝返るとの噂が出ておりこれに対応する必要があった。また西進してくる東軍への防御もあり、瀬田の唐橋に防衛陣地を急きょ造る必要に迫られ毛利の主力部隊2万人が動員された。

その後8月初め普請が完了、毛利秀元率いる主力部隊は伊勢(三重県)に向かい津城を攻略、その後美濃(岐阜県)関ヶ原へ布陣する事になる。
一方、大津城の京極高次は東軍への荷担が明らかになったため、大阪にいた厚狭毛利家の祖、毛利元康は大津城攻めに向かい9月15日これを攻略するが、奇しくもその日関ヶ原では東西両軍が激突していた。

ゴルフの行き帰りで歴史を振り返ることが出来るのは、身体と頭の両方のリフレッシュになりそうな気がする。