おだいっさま・お大師さま

私の子供の頃の想い出には色々なものがあるが、ふるさとの習俗とも絡んで遥かな歴史をも感じさせられるのが、この時季の懐かしい「おだいっさま」参りである。

「おだいっさま」とはお大師様がなまったもので云うまでもなく空海弘法大師をいい、誕生地・四国や西国を修行して廻った後、遣唐使の学問僧として入唐し、仏教(特に密教)や土木技術を学び帰国後、満濃池(まんのういけ)を始めとする土木社会事業で貢献すると共に高野山金剛峯寺などを建立、真言密教の開祖になる。

ふるさと厚狭(現山口県山陽小野田市)を含む旧長門国一帯は、九州彦山(ひこさん)の山岳信仰・山伏の影響や、長門三十三ヵ所霊場札所の成立、中でも長門三霊山といわれ何れも花山法皇伝説が残る、豊田華山(現在下関市)の豊浦山神上寺(じんじょうじ)、伊佐(美祢市)の桜山南原寺(なんばらじ)、厚狭の松嶽山正法寺(しょうほうじ)等、真言宗各寺院等の影響があった。

この為、弘法大師信仰が広く民間に受け入れられていたようで、私の生まれた集落の辻々に小さなお堂、祠(ほこら)があり、その中にお大師さまの像が祀られていた。

弘法大師は承和2年(835)旧暦3月21日逝去・入定(にゅうじょう)されたが、「おだいっさま」はこの日を新暦の4月21日に置き直し、各祠にあるお大師さまへお参りに廻るもので、これを祠を守っている近所の集落の人がお接待する。
丁度巡礼のミニ版のような風習と考えられる。

大体お参りするのはお年寄りと子供だった気がするが、子供には忘れられないお接待のお菓子のご褒美が付いていた。またこのお参りにはお米少量か小銭1円~5円くらいをお賽銭にしていた。

集落の端から端迄廻ると何ヵ所もあり、沢山のお菓子にありつけ何か特別な日のような気がし「おだいっさま」と呼んで毎年楽しみにしていた。

先日、ふるさとの集落に住んでいる兄や従姉妹に確認したところ、現在祠の数は減少したものの、何とかこの習俗は続いているとのことで、昨日4月21日従姉妹にお願いしてその様子を写真に撮って貰った。

現在のお賽銭はほぼ100円が主流、お菓子のお接待も続いているとのことで、時代は移り変わっても子供たちには大きな楽しみになっているに違いない。

・子供たちもお参り
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弘法大師の入定の日に関する行事は、真言宗寺院を中心にお接待など色々な形で全国各地に根付いており、ふるさとの行事もこの先長く続いていくことを願っている。

◎道端で見かけたこれは図鑑を見るとイネ科のコバンソウと思われる。
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