NHKTVの番組に「日本百名山」をもじった「日本百低山」という番組があり、酒場詩人を自称し「酒場放浪記」で有名な吉田類さんがゲストと共に全国の比較的低い山を登る番組で、私は高い山には縁がないが低い山には何度か登ってその爽快感を味わったことがあるので、番組が目についた時は録画するようにしている。
今回は山口県の山ということで興味津々で録画したが、山口市の背後、中国山地の一角で萩市と山口市に跨がるいわば長門と周防の国境(くにざかい)の位置にある東鳳翩山(ひがしほうべんざん・734m)が対象だった。
珍しい難しい名前だが土地にゆかりの儒学者・片山鳳翩(かたやまほうべん)から付いた名前らしい。
ゲストは女優・東ちづるさんで冒頭に山口の国宝・瑠璃光寺五重塔が紹介されていて懐かしいが、それにもまして驚いたのがこの山に至る道が「萩往還」として紹介されたことである。
「萩往還」とは字の通り長州藩毛利家の居城であった萩から中国山地を越えて山口を経由して瀬戸内航路の港である三田尻(みたじり・現在防府市)につながる全長約50kmの道で、江戸時代藩主が参勤交代で使用した。
(余談になるが毛利家の参勤交代は時代によって多少の変動はあるものの、常に1000人を超える大行列であり想像を超えるお金と手間がかかり、これの一往復だけでも徳川幕府への恨みが積もっていくのではと勝手に心配する)
江戸への参勤交代では三田尻から船で大阪に出てそこから陸路をたどるのが通例であったが、一度海難事故に遭遇し藩主は無事だったものの以後は三田尻から山陽道を経由することになった。
幕末になると政局に対応するため交通不便な萩から山口へ藩主と世子が移り山口政事堂(あくまで城ではないとの建前で)と称した。
また三田尻には藩の海軍局が置かれ藩船の基地でもあった。
この為「萩往還」は極めて重要な交通路になり長州藩士のみでなく各藩出身の志士、例えば坂本龍馬などが頻繁に往来することになる。
番組では石畳の険しい道を吉田さん、東さんが進んでいき難所の四十二の曲がりのあるつづら折りを越えたところにある藩主など行列が休憩した茶屋跡が紹介されていた。
茶屋というと一般には街道の茶店を想像するが、長州藩では藩主が通過したり視察に訪れた際の宿泊や休憩場所で、街道の要所に設けられ他の大名や幕府役人などの本陣(宿舎)としても活用された。
厚狭毛利家の領地であった山陽道船木宿にも茶屋があり、要人の休憩、宿泊が頻繁に代官所日記に記録されており現在も地名として残っている。
萩往還を過ぎてからの登山道も結構険しい雑木林が続き、私も経験があるが二人の「ゼイゼイ ハアハア」は親近感がある。頂上からは山口市や瀬戸内海まで見渡せていた。
下山のあとは山口県民のソウルフードと紹介された「瓦そば」とビールで乾杯のシーン。
実は私もまったく同じパターンの経験がある~~奈良・二上山(にじょうざん)に登りふもとの当麻寺(たいまでら)近くで山口県出身者が営まれている店で「瓦そばとビール」自然に声が出るほど沁みて美味しかった。
🔘施設の庭に咲く花シリーズ